村上春樹

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「やれやれ」
~ 村上春樹 について、鼠

村上春樹(むらかみ はるき、1949年1月12日 - )は、日本を代表するエロゲークリエイター。14歳の君に読んでほしい本を発売している。。

そのオリジナリティとテクニックにより日本エロゲー界の頂点に立ち、エロゲーという文化を日本に根付かせるのに大きく貢献している。 またその功績が称えられ、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年と五年連続でノーベル文学賞の有力候補者となるなど、今後のさらなる活躍が期待されている。来年は獲るんじゃない?

作風[編集]

人間存在に深く関わった深遠なストーリーや、二転三転する奇抜なストーリーなど、エロ一辺倒だったエロゲー界に新風を吹き込んだ革命者として多くの信者を要する、日本一のクリエイターである。またその評価は国内に限らず、海外でも人気を博し、特にお隣韓国では日本を超えるムラカミブームが巻き起こり、かの国の国技であり大変有名なエクストリームスポーツとして知られる「朴理」において「ムラカミチルドレン」と呼ばれる選手を大量に発生させる要因ともなった。

また登場するヒロインは当時としては非常に斬新な設定を要し、マニアックな人気を獲得したばかりかメインストリームの一つとして地位を確立した物もある。特に現在萌えの主力とされる「ツンデレ」「ヤンデレ」などデレの元祖は彼であるとも言われ、パイオニアとしての評価も非常に高い。

初期~中期[編集]

風の歌を聴け[編集]

前述のようにこのデビュー作においてエロゲー界に革命をおこした風雲児として名を馳せた彼だが、その萌え以上に注目を集めたのが、渇いた現代を斜めから観たような独特の切り口の世界観である。しかしそうした作家性に気を取られ、エロゲーとしてはあまりに抜きシーンが少ないという批判を浴び、一部選考員(メタル・ユーキ氏)の怒りを買ったことで惜しくも芥川賞を獲得するには至らなかった。

詳細は 風の歌を聴け を参照

1973年のピンボール[編集]

日本中が注目する中発表された続編「1973年のピンボール」では、前作の反省を踏まえてか開始していきなり双子の女の子両方とフラグが立つなど、エロを全面に押し出した作りが反響を呼んだ。その上でヒロイン選択の自由度も高く、さらに二人の主人公の物語が同時進行的に描かれるなど、実験的な面も多い。これらのフィーチャーは後に様々な作品に大きな影響を与えたとされる。また作中登場するヒロイン「スペースシップたん」は、二次元という形態に対するアンチテーゼとして描かれ、物語の作家性を確かなものとしている。

羊をめぐる冒険[編集]

この頃から彼は専業作家として活動を本格的に開始し、作品は長大化の一途を辿りつつあった。「羊をめぐる冒険」は前二作の正当な続編であり、その圧倒的なボリュームが高く評価された。また新たなフィーチャーとして「結婚・離婚」が取り入れられ、よりリアルな恋愛が体験できるようになった点も特筆すべきである。しかしその代償として前作のような自由度はスポイルされており、特に美しい耳の女の子と北海道に旅立って以降はヒロイン選択の場面がほとんどないなど、いくつかの欠点も指摘されている。

世界の終わりとハードボイルドワンダーランド[編集]

好評を得た「ピンボール」のザッピングシステムをさらに強化し、ひとつの作品として昇華させた名作であり、未だにこの作品を彼の最高傑作に挙げる者も少なくない。その要因としてシナリオの完成度の高さが挙げられる。壁に囲まれた謎の町で暮らす「僕」の章と計算士として近未来を生きる「私」の章それぞれの物語性、またそれらがストーリーが進むにつれ密接に絡み合うという構成の巧みさは、エロゲーとしての側面を除いても十分に鑑賞に耐えるものであり、深夜アニメ化を始めとするメディアミックス作品が多数発表されたことからもそれが伺える。ただし原作の完成度の高さからそれらの派生作品は十分に追従することができず、いわゆる黒歴史扱いされており知名度は原作に比べると極端に低い。

ノルウェイの森[編集]

「世界の終わり~」に次いで人気の高い作品であり、この頃の彼を黄金期とする者も少なくない。メインヒロインのうちの一人、直子はヤンデレの元祖とされ、また対となる緑はツンデレの元祖とされる。そういった意味でもまさに金字塔的作品である。主人公である僕が緑に刺されたり、直子が二人の前で飛び降り自殺をしたり、緑の首をかっ切る、などの過激なマルチエンディングが話題を呼んだ。

詳細は ノルウェイの森 を参照

ダンス・ダンス・ダンス[編集]

ファン待望の、初期三部作の正当な続編であり完結編。過去最高のボリュームを誇り、当時のエロゲーとしては異例のディスク二枚組仕様として発売された。ヒロインに13歳の少女が追加されるなど、内容面においても多様化するファンの期待に応えるものとなっており、瞬く間にベストセラーとなった。しかし一方で、余りにも完成度の高かった前作、前々作と比較してストーリーの詰めが甘いとされ、一部では酷評を受けている。村上自身もそれを認めており、「ついカッとなってやった」と後にコメントしている。しかしそういった詰めの甘さがファンの妄想を掻き立てたとして好評価を得、それがひとつのスタイルとして受け入れられるようになり、そうした手法は後に伝説となる「ときめきメモリアル」にも影響を与えるなど、エロゲー・ギャルゲー界における功績は小さくない。

後期[編集]

国境の南、太陽の西[編集]

「ダンス」の発売以降、村上はしばし沈黙を守り、自身初の超大作となる「ねじまき鳥クロニクル」に全精力を傾けるようになった。その折りに「偶然産まれた」とされるのがこの「国境の南、太陽の西」である。「ねじまき鳥」に続く予感を感じさせながらも、その内容には「ノルウェイ」の正当後継的なシステムを採用し、ファンを喜ばせた。

ねじまき鳥クロニクル[編集]

「ダンス」を超える超大作として話題を呼び、そのボリューム面もさることながら、多彩なヒロイン、既婚者という主人公の設定、深遠な物語など、あらゆる面でその前評判に相応しい内容であり、発売当初から絶賛された。しかしラストに「これまでの伏線を完全スルーして主人公が『急に閃いた』という理由で謎が解ける」という致命的なバグが発生、一時は回収騒ぎかとも言われたが、とてつもないデータ量のパッチが後に配布されるという対応がなされ、事なきを得た。しかしその際追加された新たなエンディングがあまりにも難解であること、いくつかの謎が残されたままといった欠点が指摘されており、ファンの間ではこの作品を最高傑作と唱えることに疑問を投げかける向きもある。そのため一部のアンチ春樹族からは、腹違いの夏樹がゴースト作成したのではないかという声も上がった。

スプートニクの恋人[編集]

「ねじまき鳥」後に短期間でまとめ上げられたとされる中編作品。なんとエロゲーとして発売されたにも関わらずエロシーンはほとんどカットされ、ストーリーにより力を注ぐという、当時としては非常に前衛的な手法を用い物議を醸した。「これはもはやエロゲーではない。これを認めてしまうとエロゲーという文化が破壊されかねない」として専門家(エロゲリスト)からは批判されたものの、この作品は現代において最も幅を利かせている「泣けるエロゲー(笑)」の雛形であると見る向きもあり、「大事なのはエロじゃなくてストーリーなのだ」という妄言を振りまくキモヲタの間で再評価され始めている。

海辺のカフカ[編集]

「ねじまき鳥」以来となる長編作品で、村上のお家芸とも言えるザッピングシステムを装いも新たに採用し、大きな話題を呼んだ。「血は繋がっていないが実の姉」「血は繋がっていないが実の母」「男の娘の振りをした僕っ子」といった余りにマニアックなヒロイン達の設定は物議を醸し、一部で大喜びした変態を除くエロゲーマーはついていけないとばかりにクリアを断念した。またナカタさんルートでは人間のヒロインは一切登場せず、トラック運ちゃんとの二人旅というマニアックにも程があるストーリーを採用したことに関しても批判は多いが、これによって多くのアッー!ユーザーを取り込むことに成功、後にブームとなるBLゲームの雛形とされ、村上春樹健在を強く印象づけた。

アフターダーク[編集]

村上春樹の実験精神が爆発したともされる作品で、あまりに斬新なシステムの数々に評価は大きく割れている問題作である。明確な主人公は存在せず、プレイヤーはただ世界を神の視点から眺めるのみであるが、街中に巡らされた様々なイベントを「観る」ことでフラグが発生、その積み重ねによってストーリーが変化するという、自分で言ってて何がなんだかよくわからないシステムを採用している。前述の「エロよりストーリーが重要なんだ」と言っていたキモヲタたちは、その余りのエロの少なさに「やっぱエロも大事だよね」と手のひらを返し、この作品を酷評した。しかし、五年後、十年後にはこの作品の流れを汲む作品が誰か別の人間によって作られるかもしれない。なぜなら、彼の作品は常に時代の最先端であり続けてきたのだから。

1Q84[編集]

関連項目[編集]

Bouncywikilogo.gif ウィキペディアにも、この項目「村上春樹」が執筆されています。ぜひこちらも読んでみてください。