川端康成

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川端 康成(かわばた やすなり、1899年6月14日 - 1972年4月16日)は、日本の小説家。1968年(昭和43)年ノーベル文学賞受賞。


経歴[編集]

大阪市北区此花町一丁目七十九番屋敷に、父栄吉、母ゲンの長男として1899年出生。父は医師であった。1901年、2歳のときに父が死去。翌年の1902年に母も死去する。祖父三八郎、祖母カネに引きとられた。1913年頃から、小説家を志望し、文芸雑誌を読みあさる。1917年、大阪府立茨木中学校を卒業する。同年、第一高等学校文科乙類に入学する。1918年、伊豆へ旅行し、旅芸人の一行と道連れになる。1920年、東京帝国大学文学部英文学科に入学する。1921年、第六次「新思潮」発刊。四月、第二号に掲載された『招魂祭一景』が好評を得る。1922年、国文学科に転科。1924年、東京帝国大学国文学科を卒業。卒業論文の序章は『日本小説史の研究に就て』、同年、同人雑誌「文芸時代」を創刊する。この同人誌には、新感覚派と呼ばれる新進作家が集まった。

1926年、処女作品集『感情装飾』(金星堂)刊行。1927年、第二作品集『伊豆の踊子』(金星堂)刊行。同年、最初の新聞小説『海の火祭』を「中外商業新報」に連載。1929年、新聞小説第二作『浅草紅団』を連載。1935年、芥川賞の銓衡委員となり、『雪国』を分載発表する。1937年、初の単行本『雪国』を創元社から刊行。1938年、改造社版『川端康成選集』(全九巻)の刊行が始まる。同年、本因坊秀哉名人引退碁(六月-十二月)を観戦し、「東京日日新聞」「大阪毎日新聞」に観戦記を連載。1944年、第六回菊池寛賞を受ける。1952年、『千羽鶴』(筑摩書房)を刊行、芸術院賞を受ける。1954年、『山の音』を完結し、刊行(筑摩書房)、野間文芸賞を受ける。1958年、国際ペンクラブ副会長に選ばれる。1961年、文化勲章を受賞。1968年、ノーベル文学賞を受賞する。12月にストックホルムで記念講演『美しい日本の私ーその序説』を行う。

1972年、逗子マリーナの仕事部屋でガス自殺する。享年72歳10ヵ月。

代表作品[編集]

  • 川端康成『舞姫』(朝日新聞社、1951年7月)
  • 川端康成『伊豆の踊子』(金星堂、1927年2月)
  • 川端康成『新文章讀本』(あかね書房、1950年11月)
  • 川端康成『遠い旅』(小学館、2016年6月)
  • 川端康成 『天授の子』(新潮社,2004年)
  • 川端康成『虹いくたび』(新潮社,1963年)
  • 川端康成『女であること』(新潮社、1956年10月)
  • 川端康成『愛する人達』(新潮社、1941年12月)
  • 川端康成『名人』(文藝春秋新社、1954年7月)
  • 川端康成『みずうみ』(新潮社、1955年4月)
  • 川端康成『山の音』(筑摩書房、1954年4月)
  • 川端康成『浅草紅団・浅草祭』(先進社、1930年12月)(中央公論社、1950年8月)
  • 川端康成『掌の小説』(青龍社、1948年1月)
  • 川端康成『眠れる美女』(新潮社、1961年11月)
  • 川端康成『古都』(新潮社、1962年6月)
  • 川端康成『雪国』(創元社、1937年6月)
  • 川端康成『一草一花』(毎日新聞社、1973年10月)
  • 川端康成『美しさと哀しみと』(中央公論社、1965年2月)
  • 川端康成『乙女の港』(実業之日本社、1938年4月)
  • 川端康成『万葉姉妹』(集英社、1977年)
  • 川端康成『千羽鶴』(筑摩書房、1952年2月)
  • 川端康成『たんぽぽ』(新潮社、1972年9月)

参考文献[編集]