富士山レーダー

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ファイル:Fujisan radar dome.jpg
富士山レーダー(富士山親水公園に移設保存されている)

富士山レーダー(ふじさんレーダー)とは、1964年8月15日富士山頂の富士山測候所に設置された気象レーダーとその運用システムをいう。1959年伊勢湾台風による死者行方不明者5,000名という大被害を受けて日本本土に近づくおそれのある台風の位置を早期に探知し、台風被害を予防する目的で気象庁が設置した。

1999年11月1日、富士山レーダーは気象衛星による予報精度向上と、静岡県牧之原台地牧之原気象レーダー観測所)と長野県車山車山気象レーダー観測所)の2カ所に代替レーダーが設置されることによりその役割を終え、運用を終了した。その後、富士山頂から本体は解体撤去され、2001年9月富士吉田市富士山親水公園敷地内に移設保存されている。

2000年3月、富士山レーダーは、気象レーダー運用の基礎技術発展に大きく貢献したとされ米国電気電子学会からIEEEマイルストーンに電気技術史に残るものとして認定されている(日本では八木アンテナに続く2例目であった)。

設置工事[編集]

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富士山測候所レーダー棟のモデルとなったジオデシック・ドーム理論

着工は1964年5月、設置場所は従来から測候所として機能していた富士山測候所にそのままレーダー棟を増設することとなった。気象庁は工事をスムーズに進めるため一社受注によることとし、設置費用は2億4千万円で三菱電機に発注された。

当時の気象庁の富士山レーダーにかける期待はきわめて高く、すでに運用されていた新潟県弥彦山島根県三坂山の山岳レーダーで用いた5.7センチ波レーダーではなく、観測エリアを広範囲にわたって確保するため、途中の雨雲等による電波減衰を防ぐ目的で異例の10センチ波レーダーを用いることとした。他方、波長が長くなることによるレーダー画像の分解能低下を防ぐため、使用するアンテナを当時標準だった直径3mのものから直径5mに大型化することとしている。レーダーの設置を請け負った三菱電機では、山頂の現地工事に投入する資材の搬入方法をブルドーザー、強力(きょうりょくではなくごうりき。人力輸送)、輸送用ヘリコプターの3方法を使い分けていたが(工事資材は500トンを超え、そのほとんどがブルドーザー啓開道により運ばれた)、アンテナを保護する「鳥籠」(写真で白く見られる9メートルの球状ドームで冬の風速100m/sに耐えられる仕様になっており重量は600kg)を現地に搬送する際に、一部分解して運搬し山頂では組み立てすることが難しく、地上からの輸送ヘリでは揚力(最大480kg)が不足し、難工事の最後の障害となって立ちふさがった。最終的には晴天無風となった1964年8月15日にヘリコプター輸送を強行し設置に成功した。この富士山レーダーを象徴する「鳥籠」はバックミンスター・フラージオデシック・ドーム理論に基づき設計されている。

なお、工事の様子などはNHKテレビ番組プロジェクトX〜挑戦者たち〜」や、当時工事を指揮した気象庁測器課長の藤原寛人(筆名:新田次郎)が1966年に気象庁退官後に著した作品「富士山頂」にその詳細が紹介されている。

レーダー性能諸元[編集]

1965年の運用開始時、使用波長は2880メガヘルツ帯(10センチ波)で出力は1,500キロワット、5m径回転式パラボラアンテナ(3~5回転/分)の気象レーダーで最大800km先まで観測が可能だった(雨雲域は上空10,000m以下を想定)。1978年には従来の真空管方式から半導体回路に改められた2代目に更新され、1999年の運用終了まで使用された。

出典[編集]

  • Tapan K. Sarkar, Robert Mailloux, Arthur A. Oliner, Magdalena Salazar-Palma, Dipak L. Sengupta, History of Wireless, Wiley-IEEE, 2006, pages 470-471. ISBN 0471783013.

外部リンク[編集]