大黒摩季

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大黒 摩季(おおぐろ まき、1969年12月31日 - )は、日本のシンガーソングライター。所属事務所サニーサイドアップ北海道札幌市南区出身、藤女子高等学校卒業。実家は老舗菓子札幌キムラヤで前社長の長女、現社長の姉である(製パン業)。

人物[編集]

3歳からクラシックピアノを始め、小学校の頃から作曲をしていた。幼少の頃はオモチャがピアノだったという。札幌にある藤女子高等学校を卒業後に上京する。 また非常に交友関係が広く神田うの藤原紀香はるな愛川島なお美夫妻や山田邦子夫妻、森三中など多数。夫は1歳年下の一般人の為、氏名や職業は公表されていない。

来歴[編集]

デビュー前[編集]

1989年にビーイング主催のオーディション(第3回BADオーディション)に合格するも、コーラスをするよう言われる。他にもソニーやビクターのオーディションに合格しており、ソニーからは「すぐにデビューしよう」という話があったが、大黒はビーイングでの下積みの道を選ぶ。その後、B'zZARDTUBET-BOLANDEEN織田哲郎などのビーイング系アーティストのコーラスを担当する。

1990年には安宅美春(後にKIX-Sを結成)のギターソロアルバム「孤独のRUNAWAY」にゲストボーカルとして参加し(当時の表記は大黒摩紀)、山下久美子の「WHY?」「LOVE & PEACE」「BIBBIDI, BOBBIDI, BOO」をカバーしている。1991年1月にSILK(大森絹子)のアルバム収録曲「ジョン・レノンが聴こえる夜」(作詞はみなみなみ)で作曲家デビュー。TUBEの春畑道哉のソロライブツアーにコーラスとして参加。またCM NETWORKの一員として「GO!GO!貴花田」という曲を歌っている。

本人が望んでいた歌手デビューがなかなか出来ないために会社を辞めてアメリカへ旅に出たが、滞在先で社長から「歌手デビューの話が進んでいる」という旨の電話連絡を受け帰国、会社に復帰して活動を再開した。

デビュー以降の活動[編集]

1992年、「STOP MOTION」で歌手デビュー、ドラマ主題歌という大型タイアップがつくもセールスはいまいちだった。2ndシングル「DA・KA・RA」がCMのタイアップがつき問い合わせが相次ぎ結果的にヒットチャートを上昇しミリオンヒットを記録し、第34回日本レコード大賞新人賞受賞。以降、「チョット」「あなただけ見つめてる」「夏が来る」「ら・ら・ら」「熱くなれ」等のヒット曲を出す。デビューしてから数年は露出を控え、メディア出演やライブ活動をすることはなかった。そのため、「大黒摩季は歌手担当、写真で顔を出すモデル担当、作詞・作曲担当とそれぞれ3人いる」「大黒摩季はコンピューターで作られたもので実在しない」という都市伝説まで存在した[1]。また、デビュー当時は所属事務所のプロフィール欄に1972年生まれと記載されており、年齢を詐称していた。要出典1996年度の長者番付では歌手部門10位となる。

数少ないテレビ出演としては、デビュー前の1992年5月17日にフジテレビミュージックフェア』において、初出演を果たしている。B'z近藤房之助坪倉唯子が昔の曲を歌う企画のコーラス参加だが、歌う前に大黒はB'zらと横一線に並び、司会に名前を紹介されていた。また1996年に「熱くなれ」がNHKアトランタオリンピック中継テーマソングとなった関係から、同局の『サンデースポーツ』に出演しインタビューに答えているほか、同年6月1日には当時ビーイングがスポンサーに付いていたテレビ番組『ROX』(関西テレビ)の第1回で特集され、アマチュア時代の思い出を語るなどインタビューに応じている。

1997年8月1日にレインボースクエア有明特設ステージで行われた初のソロライブ『LIVE NATURE#0〜Nice to meet you〜』で、初めて本格的にファンの前に姿を現す。このライブの一部はテレビ朝日ミュージックステーション』で生中継されたほか、ライブ・ビデオ『大黒摩季 LIVE BEATs』に一部収録されている。このライブ以降、全国ツアーを開催するようになった。

それ以前にもわずかながらステージに立ち、姿を現している。1990年5月に横浜バードで行われた近藤房之助と小島良喜のライブにゲストボーカルとして参加。1996年2月と3月には大阪心斎橋にあるグランカフェで行われていた、サンデーブルースLIVEクンチョーのステージに飛び入りゲストとして参加している。その他にも「大黒摩季」個人として、1996年9月21、22日に札幌で行われた「ゆうあいピック北海道大会」に、大会テーマソングとして当時は未発表だった「風になれ」(のちにアルバム『POWER OF DREAMS』に収録)を提供した縁で、大会閉幕後に選手や大会役員、スタッフなどを招いて行われた後夜祭にサプライズ登場し、ミニライブを行ったことがある。

1999年、全国ツアー『LIVE NATURE #3』を開催する。夏にはツアーファイナルとなるスペシャルライブを千葉マリンスタジアムで敢行する。12月31日に奈良東大寺で開催されたカウントダウンライブで充電休養を宣言する。2001年にはビーイングを脱退し、古巣の東芝EMIにレコード会社を移籍して活動再開した(移籍以降、ビーイング側のCDでは作詞に「ビーイングスタッフ」と付けられている)。8月8日に復帰第1弾シングル「虹ヲコエテ」を発表した。

2000年代[編集]

2003年、アルバム『RHYTHM BLACK』を引っさげて、全国ツアー『Live BOMB!LEVEL.3』を開催。11月11日、友人の紹介で知り合った会社員と入籍。初対面の際、男性は大黒のことを知らず、「アーティスト?画家ですか」と訊かれたと、大黒は語っている。

2004年武部聡志土屋公平真矢恩田快人らとコピーバンド“大黒摩季とフレンズ”を結成。1980年代の曲をコピーしたアルバム『COPY BAND GENERATION VOL.1』を発表。シングル「ASAHI〜SHINE & GROOVE〜」がアテネ五輪ホッケー女子日本代表オフィシャルサポートソングに起用される。この曲は大黒が偶然見ていたテレビ番組に出演していたホッケー女子日本代表の選手が話していた女子ホッケーの現状を聞き、自分の下積み時代の姿と重なり何か出来ないかと思い作られたもの。出来上がった時には代表チームの合宿地へ訪問して聴いてもらったとのこと。

2005年、2年ぶりの新作『HAPPINESS』を発表し、7月15日より全国ツアー『Live BOMB!LEVEL.4』を開催。12月には初となる日本武道館単独ライブを行う。同31日、ナガシマスパーランド(三重県)にてカウントダウンライブを行なう。

2006年、初のバラードシングル「胡蝶の夢」がフジテレビ系昼ドラマ『新・風のロンド』主題歌に起用される。3月にはバラードベストアルバム『weep』を発表する。5月15日、ワールドカップ選手発表に伴って、FWに選出された大黒将志巻誠一郎(二人合わせて大黒摩季(巻)だから)、友人の中田英寿にエールを送った。ちなみに「大黒巻」の共演は実現しなかった。10月20日より全国ツアー『Live BOMB!LEVEL.5 〜デビュー15周年前倒し企画・わりと津々浦々お客様大感謝TOUR “ダイブ見せますMaki Best”+ 〜』を開催。

2007年4月9日、北海道立校としては初の「中高一貫校」として誕生した北海道登別明日(のぼりべつあけび)中等教育学校の開校式にサプライズゲストとして登場。ノーギャラで作詞作曲を手がけた同校の校歌「明日(あけび)の空に」を生で披露した。

4月18日にシングル「コレデイイノ?!/恋の悪魔 -She's no Angel-」を発表。「コレデイイノ?!」は前出の『Live BOMB!LEVEL.5』ツアーで披露され、観客と共に踊れる振り付けが施されている。大黒曰く今時のイイ言葉はないかと考えて辿り着いたものが「コレデイイノ」と云う言葉であり、「これでいいの?」に「コレデイイノ!」と大黒流の背中を押すエールの言葉となっている。

5月24日、東京青年会議所2016年東京オリンピックを望む学生の会が開催するイベント、「オリンピックを東京に2016!」にて、無料ライブを開催。

5月25日、夕張市において2万本のサクラやモミジを植え、地域再生を図る「しあわせの桜ともみじ」プロジェクトがスタートし、同市内の石炭の歴史村の公園内で記念植樹会に参加。新曲「桜ごころ」を初披露した。

5月27日(デビュー15周年日)、同日放送のフジテレビウチくる!?』に出演。番組内で司会の中山秀征からの(バックコーラス担当時代の思い出として)「他のアーティストで『下手糞だなー』って思う人いたでしょ?」という質問に対し、「はい。なんであんたの気持ち悪い音程に私が合わせて歌わなきゃいけないの?って。結局顔かよ!結局体かよ!ってね」と答える場面があった。この発言が偶然にも同日死去したZARDの坂井泉水を指しているのではないかとの噂が立った(この時、中山からの「どんな人のコーラスに参加してたの?」という質問の際にも「B'z、TUBE、ビーイング」という語句を出してZARDは出さなかった)。その後、大黒のブログが炎上する事態に発展した[2]。なお、大黒の歌手デビュー日と坂井の命日はどちらも5月27日である。

6月26日、死去した坂井泉水の音楽葬に参列した。その後記者陣に対して終始泣き崩れながら「心遣いが素敵な女性でした」とコメントした。大黒と坂井はZARDのコーラス・レコーディングが終わった後、イタリア料理店で音楽の話をしたこともあった。

8月19日に38歳でこの世を去ったプロウィンドサーファー飯島夏樹の誕生日に、表参道ヒルズにて飯島へ捧げた曲、「HEVEN'S WAVES」を披露した。ハワイで行われた葬儀で流された。飯島と大黒はサニーサイドアップ所属。

10月、大黒摩季とフレンズを再結成し、青春ロックライブハウスツアーを開催。年末にはANAインターコンチネンタルホテル東京他で初のディナーショーを開催した。

2008年1月30日にアルバム『POSITIVE SPIRAL』を発表。2月9日より全国ツアー『MAKI OHGURO Live Bomb! Level.6 15th Anniversary Final Tour 〜ありがとう! そして…POSITIVE SPIRAL〜』(全21公演)。5月17日、ツアーフィナーレのスペシャルライブをパシフィコ横浜で開催した。年末は2007年に引き続き、グランドプリンスホテル高輪他でディナーショーを開催した。

2009年2月4日に初のセルフカバーアルバム『LUXURY 22-24pm』とライブDVD『Maki Ohguro Live Bomb!!Level.6 15th Anniversary Super Final in パシフィコ横浜 〜My Music My Life〜』を同時発表。3月29日よりライブツアーを横浜BLITZ、Zepp Tokyo他全16公演開催した。

2007年公開の映画「LIFE〜天国で君に逢えたら」のモデルとなったプロウィンドサーファー飯島夏樹の小説がTBSドラマ、「JNN50周年記念 スペシャルドラマ 天国で君に逢えたら」でオンエアーが決定。放送日 2009年9月24日。そのテーマソング『最後のラブレター』を手掛けた。

8月29日に一夜限りのファンクラブイベント、〜一見さんお断り〜「スナック摩季」を渋谷DUOにて行われた。

活動休止[編集]

2010年8月24日子宮疾患の治療のため、2010年10月末で無期限活動休止を発表した。疾患は1996年には発覚していたが、子宮腺筋症だけでなく、左卵巣嚢腫子宮内膜症子宮筋腫も併発し他の内臓を圧迫しており、これ以上の肥大は子宮全摘出しか方法がなくなる可能性があり、また治療のための体外受精流産を繰り返しており、2010年にきて治療のために活動停止をせざるを得ない状況となった[3]。しかし、翌年の2011年にRESTART JAPAN with TUBEの楽曲である『RESTART』のレコーディングに参加している。

2014年には北海道夕張郡長沼町にて町内の三つの中学校の統合により新設される『長沼町立長沼中学校』の新校歌の制作を依頼され、「道産子として恩返しをしたい」と快諾、自らの作詞・作曲により『希望の丘』と題する新校歌を描き下ろして完成させ、新しい中学校に贈っている[4]

2015年には、スカイマークの応援歌を手掛け、約4年半ぶりとなる本格的なレコーディングも実施した。応援ソング制作のきっかけは、スカイマーク社が大黒が2010年に発表した楽曲「TAKE OFF」の使用許可を取ろうとしたことで、このたび制作された応援ソングも同曲を原曲としている。タイトルは「TAKE OFF ~SKYMARK, Cheer UP← version~」で、スカイマーク社員たちに寄り添った応援歌にしたいという考えから、大黒自ら原曲の歌詞を3割程度変更し、「青く光る Skymark」などのフレーズも盛り込まれた[5]。さらに、同年3月19日には、Youtube上で本曲とスカイマークの映像を用いた動画が公開された[6]

ビーイングスタッフ表記問題[編集]

大黒は全ての楽曲をリリース時には「大黒摩季」として作詞しているが、ビーイング離脱後の2001年にビーイングが発売したベスト・アルバムBACK BEATs #2〜Maki Ohguro&Staff Works〜』で、作詞クレジットが「ビーイングスタッフ・大黒摩季」となっていた。同アルバムの裏ジャケットには作詞クレジットが表記されており、歌詞カードの中を見ずとも「ビーイングスタッフ・大黒摩季」の作詞クレジットが確認できるようになっていた。その結果、作詞のほとんどは大黒摩季単独ではなく、ビーイングのスタッフが作詞にも関わっていたことが暴露されることとなってしまった。

大黒離脱後にリリースされた「BEST OF BEST 1000」のliner noteによると、歌詞のほとんどをプロデューサーの長戸が書き換えたとしている。文中では「DA・KA・RA」が2フレーズを例に挙げて大黒の歌詞を長戸が意味を逆にした、「ら・ら・ら」は大黒の作詞は最初の1行のみでタイトルも含めて全て長戸が作ったとあり、 「あなただけ見つめてる」は最初の頭のサビ以外全て、「夏が来る」は大半を、それぞれ長戸が書いたとしている。文中では「詞の天才のZARDの坂井に対して、コーラスの天才の大黒」という風に長戸が評し、作詞に関しては間接的に「才能なかった」とほのめかしている。 (出典は「BEST OF BEST 1000 liner note」。ただし、同ライナーノーツは、大黒本人がテレビなどで話している内容と著しく異なる点があるなど信憑性に乏しい記述が多い。)

それ以降、ビーイング離脱後で移籍先の東芝EMIから発売された曲は「大黒摩季」表記になっているが、ビーイングが出版する大黒摩季の関連CDの作詞には(東芝EMI移籍後にビーイング時代の曲を再録音した音源のものであっても)単体のまま「大黒摩季」と表記されないようになっている。『complete of 大黒摩季 at the BEING studio』では作詞・作曲のクレジットを一切表記しない方法を取った。

また、ビーイング離脱後にビーイングが発売したMANISH『complete of MANISH at the BEING studio』の作詞クレジットは「大黒摩季」のままであったが、ビーイングのオムニバスアルバム『IT'S TV SHOW!』ではMANISHの作詞も「ビーイングスタッフ・大黒摩季」に変更されている。その後にリリースされたMANISH『BEST OF BEST 1000 MANISH』では作詞クレジットが「大黒摩季」に戻っている。

なお、JASRACの音楽作品データベース検索サービスなどで収録曲やアルバムを検索しても、作詞・作曲に「ビーイングスタッフ」の表記は無い。

ディスコグラフィー[編集]

シングル[編集]

発売日 タイトル 備考
1st 1992年5月27日 STOP MOTION オリコン最高67位
2nd 1992年9月23日 DA・KA・RA オリコン最高2位
3rd 1993年2月10日 チョット オリコン最高4位
4th 1993年4月28日 別れましょう私から消えましょうあなたから オリコン最高3位
5th 1993年7月28日 Harlem Night オリコン最高3位
6th 1993年12月10日 あなただけ見つめてる オリコン最高2位
7th 1994年1月29日 白いGradation オリコン最高5位
8th 1994年4月23日 夏が来る オリコン最高2位
9th 1994年10月5日 永遠の夢に向かって オリコン最高1位
10th 1995年2月20日 ら・ら・ら オリコン最高1位
11th 1995年5月3日 いちばん近くにいてね オリコン最高2位
12th 1995年11月6日 愛してます オリコン最高2位
13th 1996年2月26日 あぁ オリコン最高2位
14th 1996年7月8日 熱くなれ オリコン最高1位
15th 1996年12月2日 アンバランス オリコン最高4位
16th 1997年3月26日 ゲンキダシテ オリコン最高5位
17th 1997年5月28日 オリコン最高4位
18th 1998年2月25日 ネッ! 〜女、情熱〜 オリコン最高5位
19th 1999年2月24日 太陽の国へ行こうよ すぐに〜空飛ぶ夢に乗って〜 オリコン最高19位
20th 1999年8月4日 夢なら醒めてよ オリコン最高10位
21st 2001年8月8日 虹ヲコエテ オリコン最高12位
22nd 2001年10月31日 雪が降るまえに オリコン最高18位
23rd 2002年5月29日 アイデンティティ オリコン最高27位
24th 2003年3月12日 勝手に決めないでよ オリコン最高43位
25th 2003年5月28日 夏が来る、そして… オリコン最高35位
26th 2003年12月3日 いとしいひとへ〜Merry Christmas〜 オリコン最高51位
27th 2004年7月28日 ASAHI〜SHINE&GROOVE〜 オリコン最高55位
28th 2005年4月27日 OVER TOP オリコン最高87位
29th 2006年2月8日 胡蝶の夢 オリコン最高56位
30th 2007年4月18日 コレデイイノ?!/恋の悪魔 -She's no Angel- オリコン最高60位
31st 2010年5月19日 IT'S ALL RIGHT オリコン最高95位
32nd 2010年11月17日 Anything Goes! オリコン最高7位
33rd 2011年12月7日 Anything Goes! “Ballad” オリコン最高36位

配信限定シングル[編集]

発売日 タイトル 規格
2008年10月01日 Our Home デジタル・ダウンロード
2009年09月16日 最後のラブレター デジタル・ダウンロード

コラボレートシングル[編集]

  1. 憂鬱は眠らない(1993年11月26日)
  2. deep blue(2003年9月18日)
  3. 雨のち虹色(2008年6月4日)
  4. HEART∞BREAKER(2010年12月15日)
    • DaiKichi〜大
  5. RESTART(2011年6月8日)
    • RESTART JAPAN with TUBE

アルバム[編集]

オリジナルアルバム[編集]

発売日 タイトル 規格品番
1st 1992年6月24日 STOP MOTION TOCT-6503・BGCH1009
2nd 1993年4月28日 DA・DA・DA TOCT-8045・BGCH1010
3rd 1993年11月10日 U.Be Love TOCT-8185・BGCH1011
4th 1994年11月9日 永遠の夢に向かって BGCH1016
5th 1995年7月19日 LA.LA.LA JBCJ-1003
6th 1997年8月6日 POWER OF DREAMS JBCJ-1014
7th 1998年9月9日 MOTHER EARTH JBCJ-1020
8th 2001年12月12日 O TOCT-24707
9th 2002年12月11日 PRESENTs TOCT-24903
10th 2003年6月25日 RHYTHM BLACK TOCT-25047
11th 2005年6月22日 HAPPINESS TOCT-25559
12th 2008年1月30日 POSITIVE SPIRAL TOCT-26520(初回盤)
TOCT-26521(通常盤)
13th 2010年8月25日 すっぴん TTCR-3(初回盤)
TTCR-4(通常盤)

カバー・アルバム[編集]

  1. COPY BAND GENERATION VOL.1(2004年3月17日)
    • 「大黒摩季とフレンズ」名義

ベスト・アルバム[編集]

発売日 タイトル 規格品番
1st 1995年12月11日 BACK BEATs #1 JBCJ-1004
2nd 1999年12月31日 MAKI OHGURO BEST OF BEST〜All Singles Collection〜 JBCJ-1028/9
3rd 2006年3月15日 weep〜maki ohguro The Best Ballads Collection〜 TOCT-25909
4th 2009年2月4日 LUXURY 22-24pm POCS-1021

非公認アルバム[編集]

  1. LIVE BEST CONTAINS 16 BEST LIVE TRACKs!!(2001年06月27日)
  2. BACK BEATs #2〜Maki Ohguro&Staff Works〜(2001年10月31日)
  3. complete of 大黒摩季 at the BEING studio(2003年7月25日)
  4. BEST OF BEST 1000 大黒摩季(2007年12月12日)
  5. BEST HITS(2008年2月27日)
  6. GOLDEN☆BEST 大黒摩季(2010年12月8日)

参加作品[編集]

  1. ROYAL STRAIGHT SOUL(1991年1月10日)
  2. HOTEL WOMAN Original Soundtrack(1991年11月21日)
  3. SING!!〜SEGA GAME MUSIC presented by B.B.Queens(1992年8月12日)
  4. ROYAL STRAIGHT SOULⅡ(1993年11月21日)
  5. ROYAL STRAIGHT SOULⅢ Vol.2(1993年11月21日)
  6. 愛と疑惑のサスペンス エンディングテーマ曲集(1994年3月26日)
  7. J-BLUES BATTLE Vol.2(1998年8月8日)
  8. Returns!/m.c.A・T(2004年2月9日)
  9. BEACH BOYS -BEST OF TRIBUTE(2004年8月4日)
  10. 甲斐バンド&甲斐よしひろ グレイト・トリビュート・コレクション〜グッド・フェローズ (2004年8月25日)
  11. Words of 雪之丞(2006年2月27日)
  12. WANNA BE THE PIANO MAN(2006年11月22日)
  13. Tribute to Eric Clapton(2007年1月24日)
  14. MUSIC FLOWER/土屋公平 featuring 伴都美子・大黒摩季・中島美嘉・浦嶋りんこ・島津ナディア・勝手にしやがれ+DJ HASEBE(2008月年10月15日)
  15. 服部克久の世界〜works(2009年11月11日)

DVD-Video[編集]

発売日 タイトル
2000年8月1日 大黒摩季 LIVE BEATs
2001年6月27日 LIVE NATURE #0 〜Nice to meet you!〜
2001年7月30日 LIVE NATURE #2 〜BEST BEATs〜
2001年10月31日 LIVE NATURE #3 SPECIAL 〜Rain or Shine〜
2004年9月29日 COPY BAND GENERATION LIVE VOL.1
2007年 月 日 MAKI OHGURO Live Bomb!! "Lev V" 15th Anniversary Get the "Rock & Peace" Maki's Love With You
2009年2月4日 Maki Ohguro Live Bomb!! Level.6 15th Anniversary Super Final in パシフィコ横浜 〜My Music My Life〜

著書[編集]

  1. TWO HALF(1995年12月12日)
  2. ありがとうなんて絶対言わない(1999年7月23日)

提供曲[編集]

作詞[編集]

作曲[編集]

作詞・作曲[編集]

  • SILK 「STOP MOTION〜永遠に〜」
    • デビュー曲として後にセルフカヴァー
  • 北海道登別明日中等教育学校校歌 「明日(あけび)の空に」
    • 2007年4月9日開校日・入学式で本人歌唱し発表
  • うつみ宮土理 「スキャットライフ」
    • 2009年5月発売のアルバム『花の行方』に収録

主なコーラス参加作品[編集]

デビュー前、またその以降に関わらず、多くのミュージシャンの楽曲にコーラスとして参加しており、本項目において正確に全てを掲載することは不可能であるため、シングル曲など主要な作品に限定して掲載する。

テレビ出演[編集]

など

ラジオ番組[編集]

コンサートツアー[編集]

日程 ツアータイトル 会場 備考
1996年9月22日 ゆうあいピック北海道大会 後夜祭 真駒内アイスアリーナ 大黒摩季としての初ライブであり、3曲披露されたミニライブ。シークレットゲストだった為、ファンクラブでも出演情報が公表されなかった。
1997年8月1日 LIVE NATURE #0 〜Nice to meet you〜 レインボースクエア有明 正式な初ライブで、47,000人を動員。またミュージックステーションの生中継も行なわれた。
1997年10月2日-11月2日 LIVE NATURE #1 〜POWER OF DREAMS〜 5ヶ所9日間9公演
真駒内アイスアリーナ、横浜アリーナ名古屋レインボーホール大阪城ホールマリンメッセ福岡
初の全国ツアー。
1998年8月1日 EXTRA BEETs 〜おひさしブリッツ〜 赤坂ブリッツ
1998年9月4日-10月25日 LIVE NATURE #2 〜BEST BEETs〜 8ヶ所15日間15公演
真駒内アイスアリーナ、グランディ21 宮城県総合体育館国立代々木競技場 第一体育館、横浜アリーナ、名古屋レインボーホール、大阪城ホール、広島グリーンアリーナ、マリンメッセ福岡
1999年4月8日-7月19日 LIVE NATURE #3 〜Shine or Rain〜 29ヶ所37日間37公演
帯広市民文化ホール、旭川市民文化会館北海道厚生年金会館青森市文化会館岩手県民会館仙台サンプラザホール群馬県民会館大宮ソニックシティ川口リリアメインホール千葉県文化会館渋谷公会堂神奈川県民ホール新潟テルサ石川厚生年金会館アクトシティ浜松名古屋センチュリーホール京都会館 第一ホール大阪フェスティバルホール神戸国際会館倉敷市民会館広島厚生年金会館香川県県民ホール愛媛県民文化会館福岡サンパレス長崎ブリックホール熊本市民会館宮崎市民文化ホール鹿児島市民文化ホール(第一)
1999年8月5日 LIVE NATURE #3 Shine or Rain SPECIAL 〜Rain or Shine 千葉マリンスタジアム
1999年12月31日 世界50億人が目撃者!1999〜2000大黒摩季 ライブ IN NARA 東大寺 世界62ヶ国に生中継されたカウントダウンライブ。このライブで突然の休業宣言を行なった。
2001年6月4日 Private Live 〜Starting from Zero〜 サッポロファクトリー ビーイング脱退後の初ライブ。
2001年8月1日・8日・9日 Live BOMB! LEVEL.1 〜BLITZ KRIEG "Get the Rainbow"〜 赤坂BLITZ
2001年12月31日 大黒摩季プロジュース ハウステンボス カウントダウン2002 ハウステンボス ハウステンボスのオープン10周年を記念したカウントダウンライブ。インターネットでライブの生中継も行なわれた。
2002年1月25日-2月11日 Live BOMB! LEVEL.2 "O" 4ヶ所6日間6公演
東京国際フォーラム ホールAパシフィコ横浜 国立大ホール、名古屋センチュリーホール、大阪フェスティバルホール
2002年8月7日 M'DRIVE Presents Special Circuit Vol.1 SHIBUYA-AX ファンクラブ限定ライブ
2002年12月11日-23日 Winter Edition [PRESENTs] 〜あなたの恋をつくりまShow〜 2ケ所3日間3公演
Zepp TokyoなんばHatch
2003年7月4日-9月6日 Live BOMB! LEVEL.3 "RHYTHM BLACK" 17ヶ所18日間18公演
札幌市民会館盛岡市民文化ホール仙台サンプラザホール市川市文化会館、東京国際フォーラム ホールA、NHKホール神奈川県民ホール新潟テルサアクトシティ浜松名古屋センチュリーホール大阪厚生年金会館倉敷市民会館、広島厚生年金会館、香川県民ホール松山市民会館、福岡サンパレス、長崎ブリックホール
2004年5月14日 大黒摩季とフレンズ ONE NIGHT STAND SHIBUYA-AX
2004年7月15日-9月12日 Live BOMB! LEVEL.4 "TOUR OF HAPPINESS" 〜不幸からの大脱出SHOW〜 13ヶ所13日間13公演
北海道厚生年金会館、宮城県民会館、大宮ソニックシティ、NHKホール、神奈川県民ホール、ハーモニーホール座間、新潟テルサ、長野・大町市文化会館、静岡市民文化会館、名古屋センチュリーホール、大阪厚生年金会館、広島郵便貯金ホール高知県民文化ホール福岡市民会館熊本県立劇場(演劇ホール)
2004年11月7日 早稲田大学 学園祭「大黒摩季トーク&ライブ Go Girl!!」 早稲田大学
2005年8月13日 M'DRIVE Prasents 大黒摩季 EXTRA CIRCUIT “HAPPINESS SPECIAL”〜かなりレアレアNight〜 SHIBUYA-AX ファンクラブ限定ライブ
2005年11月27日 京都会館45周年記念シンフォニックエポリューション 大黒摩季&京都市交響楽団〜恋の雫〜 京都会館 第一ホール
2005年12月19日 2005年冬の大感謝祭 年忘れだヨ!!全員集合 〜全部みせますマキベスト〜 日本武道館
2005年12月31日 カウントダウンライブ ナガシマスパーランド
2006年4月16日 maki ohguro ballads and bar...Premium Jazz Night in Old Saloon 1934 札幌グランドホテル
2006年4月21日・23日 weep〜maki ohguro The Best Ballads Collection〜Live 2ケ所2日間2公演
東京COTTON CLUB、ブルーノート名古屋
2006年5月13日 原田真二&大黒摩季〜僕らのハーモニー〜 福井フェニックスプラザ
2006年10月20-2007年2月10日 Live Bomb!!Lev“V”〜デビュー15周年記念前倒し企画・わりと津々浦々お客様大感謝TOUR“ダイブ見せますMaki Best”+〜 19ヶ所19日間19公演
北海道厚生年金会館、仙台市民会館、龍ヶ崎市文化会館、日立市民会館、サンシティー越谷市民ホール、市原市市民会館、渋谷公会堂、神奈川県民ホール、長岡市立劇場山梨県民文化ホール、アクトシティ浜松、愛知県芸術劇場大ホール、大阪厚生年金会館、鳥取県民文化会館、神戸国際会館、サンポートホール高松、八幡浜市文化会館、福岡市民会館、熊本県立劇場
2008年2月9日-4月29日 Live Bomb! Level.6 15th Anniversary Final Tour 〜ありがとう!そして…POSITIVE SPIRAL〜 21ヶ所21日間21公演
Zepp Sapporo、胆沢町文化創造センター、イズミティ21福島県文化センター、伊勢崎市文化会館、結城市民文化センターアクロス、熊谷文化創造館 さくらめいと戸田市文化会館渋谷C.C.Lemonホール、山梨県立県民文化ホール、静岡市民文化会館、愛知県芸術劇場、大阪厚生年金会館、神戸国際会館、広島厚生年金会館、島根県芸術文化センター グラントワ徳島市立文化センター、福岡市民会館、鳥栖市民文化会館、熊本市民会館、志布志市文化会館
2008年5月17日 Live Bomb!! Level.6 15th Anniversary Super Final in パシフィコ横浜 〜My Music My Life〜 パシフィコ横浜 国立大ホール
2009年3月29日-5月29日 Luxury tour 2009 16ヶ所16日間16公演
Zepp Sapporo、北見市民会館、音更町文化センター、Zepp Sendai、福島県文化センター、那須野が原ハーモニーホール鹿嶋勤労文化会館、三郷市文化会館、Zepp Tokyo八王子市民会館横浜BLITZ、厚木市文化会館、Zepp Nagoya滋賀県立文化産業交流会館Zepp OsakaZepp Fukuoka
2009年8月29日 スナック摩季 渋谷DUO
2009年12月5日、12月17日 ディナーショー 名鉄トヤマホテル 4階瑞雲の間、神戸ポートピアホテル
2010年1月10日 DIAMOR presents premium Live in Billboad Live Osaka ビルボードライブ大阪 DIAMOR OSAKAでの商品購入者を対象とした、75組150名の招待ライブ
2010年1月22日、1月30日 MAKI OHGURO 〜大人開放クラブ "BLACK CAT"〜 STB139、ブルーノート名古屋
2010年5月28日-7月9日 Maki Ohguro LIVEHOUSE TOUR 2010 大人開放クラブ BLACK CAT STAGE∞1 ~Back To The 80's Rockin'Girl~ 9ヶ所9日間9公演
福岡DRUM LOGOS、岡山CRAZYMAMA KINGDOM、名古屋Diamond Hall、高知BAY5 SQUARE、新潟LOTSなんばHatch、仙台CLUB JUNK BOX、札幌ペニーレーン24赤坂BLITZ
2010年7月25日 Maki Ohguro SPECIAL LIVE 2010 大人開放クラブ BLACK CAT STAGE∞2 ~マリンタウン開港記念コンサート がんばる輪島~ 輪島市文化会館
2010年8月13日-9月11日 Maki Ohguro LIVE 2010 大人開放クラブ BLACK CAT STAGE∞2 ~GO TO THE FUTURE ON THE ROCK~ 7ヶ所7日間7公演
楢葉町コミュニティーセンター、羽生市産業文化ホール、たつの市総合文化会館、貝塚コスモスシアター、瀬戸市文化センター、三島市民文化会館、渋谷C.C.Lemonホール
2010年9月14日-9月29日 大黒摩季&KAZUMI ドリームライブ2010 in 北海道 7ヶ所7日間7公演
室蘭市文化センター、苫小牧市民会館、美唄市民会館、羽幌町中央公民館、浜頓別町多目的アリーナ、北見市民会館、中標津町総合文化会館しるべっとホール

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. 「音楽誌が書かないJポップ批評」(宝島社、1998年)36頁
  2. J-CASTテレビウォッチ』2007年5月29日付
  3. 大黒摩季、重度の子宮疾患を公表 無期限活動休止へ‎ORICON STYLE 2010年8月25日
  4. 活動休止中の大黒摩季、故郷に恩返しの校歌書きおろし スポーツ報知 2014年3月17日閲覧(Web魚拓保存措置)
  5. 大黒摩季スカイマーク応援歌 共に再生へ 日刊スポーツ 2015年3月8日閲覧
  6. 「TAKE OFF ~SKYMARK Cheer Up↑version~」YouTube公開 大黒摩季オフィシャルファンクラブHP 2015年3月20日閲覧

外部リンク[編集]