パブリックドメイン

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パブリックドメイン (public domain) とは、著作物発明などの知的創作物について、著作者発明者などが排他的な権利(特に著作権)を主張できず、一般公衆に属する状態にあることをいう。日本語訳として公有という語が用いられることがあるが、日本の法令上、地方公共団体が所有する財産のことを公有財産ということもあり、訳語として適切ではないという意見がある。

パブリックドメインの状態になった知的創作物については、知的財産権が誰にも帰属しない。そのため、所有権を侵害するような態様である場合などを除き、その利用を排除する権限を有する者は存在せず、誰でも自由に利用することができる。

パブリックドメインになる場合[編集]

そもそも創作性を欠くなどの理由により保護すべき知的創作物にならない場合(例えば、著作権の場合は思想又は感情の創作的表現でなければ著作物にならないので、単なるアイディアにとどまる場合や、境界線や海岸線などの記載しかない地図のように想定される表現が限られるようなものは、そもそも創作性を欠くのでパブリックドメインか否かという問題自体が生じない。)もあるが、著作物や発明でありながらパブリックドメインになる場合としては、以下のような場合がある。

権利取得に必要な手続・方式を履行していない場合[編集]

例えば、特許権は、発明の新規性などについて公の機関による審査を経なければ、権利を取得することができない。

また、著作権についても、その取得について方式主義を採用している場合(ベルヌ条約加盟前のアメリカ合衆国など)には、法で必要とされている方式の履行(著作権の表示、登録など)をしなければ、その成立は認められないことになる。なお、日本の著作権法は無方式主義を採用しているので、何らの方式をも採らず著作権を取得できる。

法が権利付与を否定している場合[編集]

いわゆる著作物などには該当するが、何らかの理由により法が権利の付与を否定している場合がある。多く見られるのは国の著作物と考えられるものについて著作権の成立を否定する形態である。

例えば、日本の著作権法13条は、憲法、その他の法令、通達、判決などについて著作権や著作者人格権の対象とはならない旨規定している。また、イタリアでは、イタリア及び外国又は官公庁の公文書には著作権法の規定を適用しない旨の規定がある。その他、アメリカ合衆国著作権法は、連邦政府の職員が職務上作成した著作物は、著作権の保護を受けないとしている(アメリカ合衆国政府の著作物を参照)。もっとも、連邦政府の職員ではない者による著作物を連邦政府が譲り受けた場合は連邦政府による著作権の保有を否定されないし、連邦政府とは異なり、州政府の職員が職務上作成した著作物については、法は著作権の付与を否定していない。

保護期間を経過した場合[編集]

著作権についても、特許権についても、法が予定している保護期間が経過した場合には、権利者がいなくなるためパブリックドメインの状態になる。創作活動は先人の成果の上に成り立っていることは否定できないため、創作後一定の期間が経過した場合は恩恵を受けた社会の発展のために公有の状態に置くべきとの価値判断によるものである。

外国人法により保護が否定される場合[編集]

外国人の私権の享有を制限している法制が存在し(民法3条2項参照)、この点については知的財産権についても同様である(著作権法6条、特許法25条など参照)。

もっとも、ベルヌ条約万国著作権条約パリ条約などにおいて、内国民待遇の原則が採られているため、これらの条約の加盟国間においては、外国人であるというだけの理由により知的財産権の享有が否定されることはない。つまり、これらの条約に加盟していない国との関係で問題になるに過ぎない。

権利放棄をした場合[編集]

原則として権利(ただし財産権)を放棄することは自由なので、権利者により権利が放棄されれば法による保護を認める必要はなく、パブリックドメインの状態になる。もっとも、権利を放棄することにより他者の権利を害することはできないと解されているため、そのような場合には権利放棄は認められない。例えば、著作権者から著作物の独占的利用許諾を得ている者が存在する場合は、著作権の放棄によって誰でも著作物を利用できることになるとすると、被許諾者の財産的利益を損なう結果となるため、放棄はできないと解される。特許権の専用実施権が設定されているような場合も同様である。

なお、ある法域で成立した知的財産権の効力は当該法域でしか及ばないため(属地主義)、知的財産権の処分(譲渡、放棄など)は法域ごとに可能である。したがって、ある法域で知的財産権が放棄されパブリックドメインになったとしても、他の法域においてパブリックドメインになるとまでは言い切れず、専ら放棄当時の著作権者の意思に基づき判断せざるを得ないし、同じ対象につき法域により権利者が異なる場合は、放棄の効力は当然に他の法域に及ぶわけではない。

パブリックドメインと区別されるべきもの[編集]

日本においては、1990年代以前のいわゆるパソコン通信において、ネットを通じて配布される無料のソフトウェアをPDS (Public Domain Software) と呼んでいたこと等があった。しかし、その実態としては、単に著作物の利用に関して著作権を行使しないことのみをもってパブリックドメインであると宣言したり、著作権表示を行いつつもパブリックドメインである旨の宣言をしている場合も多かった。この場合は、厳密には著作権自体は存続しており(パブリックドメインという語の用法を間違えているに過ぎないため)、単に著作権の行使を控える旨の宣言にとどまるので、パブリックドメインとは言えない。

また、日本の著作権法の下では、国の機関などが一般に周知させることを目的として作成した広報資料などは刊行物への転載が可能であり(32条2項本文)、それゆえにパブリックドメインであるという誤解がされることがある。しかし、許諾なしに認められるのは「転載」や転載のための「翻訳」(43条2号)だけであり、翻訳を除く翻案については許諾が必要なので、パブリックドメインであるとは言えない。

外国著作物に関する問題[編集]

著作権の準拠法等にからむ問題[編集]

外国を本国とする者による著作物や外国で最初に発行された著作物につき、当該国では著作権による保護を受けずパブリックドメインの状態にあると解されるにもかかわらず、内国の著作権法によれば形式的には著作権が発生すると解される場合に、当該著作物が内国においてもパブリックドメインの状態にあると言えるかという問題が生じる。

このような問題が起きるのは、著作権の効力については一般的に属地主義が妥当し、国際私法上の問題として、著作権の内容や著作物の利用が著作権侵害に該当するか否か、すなわち著作権の準拠法は、著作者の本国法や著作物の最初の発行地の法ではなく利用行為があった地の法により判断されるという考え方(保護国法説)がベルヌ条約で採用されているためである。また、ベルヌ条約や万国著作権条約は、保護すべき著作物につき内国民待遇を要求しつつも、著作権の保護期間については相互主義(内国の保護期間より外国の保護期間が短い場合は、当該外国に属する著作物の著作権は当該外国法が保護している期間しか保護しない)を認めている。このため、内国民待遇と相互主義との関係をどう考えるかが結論に影響を及ぼすことになる。

万国著作権条約との関係[編集]

この点、万国著作権条約では著作権の保護期間につき相互主義を採用しているが、著作権が最初から付与されない著作物については、保護期間がゼロの著作物として扱われるという公定解釈がされている。そのため、当該外国で最初からパブリックドメインの状態にある著作物については、著作権の保護期間に関する相互主義により、内国でも最初からパブリックドメインの状態にあることになる。日本においても、その解釈を前提に国内法が整備されている(万国著作権条約の実施に伴う著作権法の特例に関する法律3条2項)。

ベルヌ条約との関係[編集]

他方、ベルヌ条約でも著作権の保護期間につき相互主義が採用されているが、最初からパブリックドメインの状態にある著作物の扱いにつき万国著作権条約と同様の解釈ができるか否かについては公的な解釈が確立されていない。同様の解釈ができるという見解もないわけではないが、ベルヌ条約では同様の解釈はできず(つまり著作権の保護期間の問題ではない)、内国民待遇の原則を維持すべきとの見解の方が支配的である。後者の解釈によると、万国著作権条約とベルヌ条約の双方に加盟している国との間ではベルヌ条約が優先して適用されるので(万国著作権条約第17条に関する附属宣言)、両条約に加盟している国間では、ある国では最初からパブリックドメインの状態にあるとされながら、別の国では著作権の保護を受けることがあり得る。

例を挙げると、前述したアメリカ合衆国政府の職員が職務上作成した著作物は、同国の著作権法では著作権は付与されずパブリックドメインの状態にあるとされている (17 U.S.C. §105)。しかし、問題となる著作物を日本国内で利用する場合、著作者の国籍・居住地や最初の発行地にかかわらず日本法が準拠法とされ、著作権法6条3号により「条約によりわが国が保護の義務を負う著作物」に該当するかが検討される。そして、日米ともベルヌ条約に加盟しているため、日本は問題となる著作物の保護につき内国民待遇が要求され(ベルヌ条約5条1項)、日本の著作権法の下で著作権が発生すると解されるかどうかを判断することになる。

つまり、ある著作物について全世界的にパブリックドメインであると断言するためには、あらゆる国の法制を調べなければならない(2006年現在において世界最長の著作権保護期間を採用しているのはメキシコの100年であるため、1905年以前に死亡した著作者の作品は完全にパブリックドメインである)。

著作者人格権との関係[編集]

財産権としての著作権のほか、ベルヌ条約や多くの国の著作権法により人格権としての著作者人格権が保護されている。そのため、著作物についてパブリックドメインと言えるためには著作者人格権が消滅していることも必要になるかも問題とされる。

この点、アメリカ合衆国の著作権法には、一定の範囲の視覚芸術著作物を除き著作者人格権を保護する旨の規定が存在しない。そのため、著作権が消滅すればパブリックドメインの状態になると言われている。これに対し、他の国ではベルヌ条約の要請もあり著作権とは別に著作者人格権の制度を著作権法に取り込んでいる。著作者人格権についてはその放棄を認めている国もあるが、日本においては、反対説もあるものの放棄はできないと伝統的に解されている(人格にかかわる権利であるため)。そのため、日本においては著作権を放棄しただけでは著作物は厳密にはパブリックドメインの状態になったと評価できないのではないかとも言われている。

しかし、アメリカにおいても、著作者人格権を著作者人格権として捉えていないだけであり、同一性保持権氏名表示権は不正競争防止法の不正表示禁止に関する規定などにより実質的に保護されているとか、コモン・ローにより人格権が保護されているという説明がされる場合がある。そのような理解が正しいとすれば、著作者人格権を保護する法制を採用する国においても、著作権さえ放棄すればパブリックドメインになるとして理解することも可能であるとも言える。

実際、日本においては著作者人格権の相続は否定されるものの(民法896条但書)、法は一定範囲の遺族や遺言で指定された者に対して故人の人格的利益の請求権を有することを認めている(著作権法116条)。さらには、著作権の保護期間が経過しかつ遺族や遺言で指定した者が存在しなくなった場合でも、著作者が存しているとすればその著作者人格権の侵害となるべき行為をしてはならず(60条)、違反者に対する罰則もあるが(120条)、それをもって著作物がパブリックドメインの状態にはないという議論はされていない。

したがって、著作者人格権が存続しているかどうかは著作物がパブリックドメインであるか否かとは直接の関連性はないという考え方も成り立つが、単なる言葉だけの問題とも言え、あまり議論されていないところである。

関連項目[編集]

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