イビデン

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イビデン株式会社
IBIDEN CO.,LTD.
種類 株式会社
市場情報 東証1部 4062
~上場中

名証1部 4062
~上場中

略称
本社所在地  503-8604
岐阜県大垣市神田町2丁目1番地
電話番号 0584-81-3111
設立 1912年11月25日
業種 3650
事業内容 電子関連事業、セラミック事業
代表者 代表取締役社長 竹中裕紀
資本金 連結:630.64億円(2007年3月)
売上高 連結:3,986億円(2007年3月)
総資産 連結:4,348億円(2007年3月)
従業員数 連結:11,867名(2007年3月)
単体:2,595名(2007年3月)
決算期 3月
主要株主
主要子会社 イビデン産業
イビケン
イビデングリーンテック
関係する人物 立川勇次郎(創業者)
外部リンク イビデン株式会社
特記事項:
ファイル:イビデン東横山発電所.jpg
東横山発電所(1921年建設)

イビデン株式会社岐阜県大垣市に本社をおくプリント基板などの電子関連製品、セラミックス製品などを扱う企業。当初は電力事業を行う会社として創業、時代とともに電気化学事業、電気機器事業へと事業分野を移してきた。一時期、電気鉄道(現在の養老鉄道養老線)を経営していたこともあった。

かつてはカーバイド窒素肥料メラミン樹脂化粧板、建材等を生産していたため、東証上場時は化学メーカーに分類されていたが、1994年、電気機器メーカーに変更された。ロゴマークがIBMに似ている。トヨタグループ、特に豊田自動織機との関わりが深く、協豊会トヨタ自動車の部品サプライヤーの任意団体)の一員である。

沿革[編集]

  • 1906年(明治39年):岐阜県安八郡大垣町(現・大垣市)の有志により、揖斐川電力株式会社の設立が計画される。
  • 1907年(明治40年):大垣電力紡績株式会社に社名を変更しての設立計画が行われたが、資金難で延期となる。
  • 1912年(大正元年)11月25日:立川勇次郎を初代社長に迎え、揖斐川電力株式会社として創業(創業はこの年になる)。本店(本社)は東京市赤坂区(後に麹町区、京橋区などに移転)、支店は岐阜県安八郡大垣町。
  • 1916年(大正5年)6月:西横山発電所完成(横山ダム建設により運用終了、水没)
  • 1918年(大正7年)12月:揖斐川電化工業、東海電化工業、日本電気製鉄所と合併、揖斐川電化株式会社に社名変更。
  • 1921年(大正10年)2月:揖斐川電気株式会社に社名変更。
  • 1921年(大正10年)6月:東横山発電所完成
  • 1922年(大正11年)6月:養老鉄道(2007年設立の養老鉄道とは別)を合併。
  • 1923年(大正12年):養老線の電化完了。
  • 1925年(大正14年):初代社長である立川勇次郎の死去により、桜内幸雄が社長に就任。
  • 1926年(大正15年):田中徳次郎が社長に就任。東邦電力(現中部電力の前身)の傘下に入る。
  • 1928年(昭和3年)5月:鉄道事業(養老線)を養老電気鉄道へ分離譲渡[1]。田中徳次郎が社長を辞任。しばらく社長不在の時期が続く。
  • 1937年(昭和12年):社長代理の久留島政治が正式に社長に就任し、社長不在状況が終了する。
  • 1940年(昭和15年):揖斐川電気工業に社名変更。
  • 1942年(昭和17年)4月:電力管理施行令により、電力供給事業から撤退。発送電設備は、日本発送電・中部配電(現中部電力)に現物出資(川上発電所・広瀬発電所・東横山発電所は、現在も自家用発電所として運用中)。宮寺敏雄が社長に就任する。
  • 1945年(昭和20年):本社を東京都から岐阜県大垣市に移転する。
  • 1949年(昭和24年):東証1部、名証1部に上場
  • 1962年(昭和37年):須崎潔が社長に就任する。
  • 1973年(昭和48年):須崎潔の死去により、森栄が社長に就任する。
  • 1981年(昭和56年):多賀潤一郎が社長に就任する。
  • 1982年(昭和57年)11月:イビデン株式会社に社名を変更。
  • 1991年(平成3年):遠藤優が社長に就任する。
  • 1999年(平成11年):岩田義文が社長に就任する。
  • 2005年(平成17年):新本社ビル完成。名証2部上場のイビデングリーンテックを株式交換により完全子会社化。建材事業部をイビデン建装販売株式会社と統合。建材事業部をイビデン建装株式会社に移管。
  • 2007年(平成19年):竹中裕紀が社長に就任する。

事業場[編集]

養老電気鉄道を経営していたため、現在でも発電所からの送電線の一部が養老鉄道養老線の線路敷地を利用している。また、大垣、青柳、河間事業場には、養老線からの貨物引き込み線があり、昭和40年代まで使用された。特に大垣事業場には2000年頃までは線路や貨物積み込み施設等が完全に残っていたが、現在は完全に撤去された。なお、近鉄美濃青柳駅の構内には、青柳事業場、及び神鋼造機へ向かった引き込み線の名残がある。更に神鋼造機構内には当時のプラットホームが現存している。

事業[編集]

  • プリント配線板製造
    • 同社はプリント配線板の製法としてサブトラクティブ法のほか、独自のアディティブ工法によるプリント配線板製造技術「AAP/10」を開発、採用している。フルアディティブ工法は銅パターンとレジスト厚の差が少なく、表面がフラットな仕上がりであり、日立化成や日立エーアイシーのCC-41工法と並んでフルアディティブ工法を採用する代表的な企業である。
    • ビルドアップ工法においても「AAP/10」を応用した技術を採用している。
  • セラミック関連

脚注[編集]

  1. 養老線は後に参宮急行電鉄、関西急行鉄道を経て近畿日本鉄道の路線となり、2007年10月からは同年2月に設立された養老鉄道が運営している。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]