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'''角田 美代子'''(すみだ みよこ、[[1948年]]10月12日 - [[2012年]]12月12日)とは、25年以上にわたって、[[尼崎市]]を中心に[[兵庫県]]、[[高知県]]、[[香川県]]、[[岡山県]]、[[滋賀県]]、[[京都府]]の6府県で、数世帯の家族を長期間[[虐待]]、監禁し、10人以上を[[虐殺]]した凶悪な殺人犯である。以前の苗字は「月岡」。
 
'''角田 美代子'''(すみだ みよこ、[[1948年]]10月12日 - [[2012年]]12月12日)とは、25年以上にわたって、[[尼崎市]]を中心に[[兵庫県]]、[[高知県]]、[[香川県]]、[[岡山県]]、[[滋賀県]]、[[京都府]]の6府県で、数世帯の家族を長期間[[虐待]]、監禁し、10人以上を[[虐殺]]した凶悪な殺人犯である。以前の苗字は「月岡」。
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'''警察は通報を受けたのにも関わらず全く動かなかった日本史上最悪の警察失態事件である。
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警察(兵庫県警尼崎東署、香川県警高松東署、高松南署)は再三親族や、谷本誠さん、近隣住民などから被害相談や通報があったにも拘らず、全く対応することはなかった。'''
  
 
[[2011年]][[11月]]の大江和子さんドラム缶事件で発覚した。
 
[[2011年]][[11月]]の大江和子さんドラム缶事件で発覚した。

2018年8月21日 (火) 10:52時点における版

角田 美代子
角田 美代子

角田 美代子(すみだ みよこ、1948年10月12日 - 2012年12月12日)とは、25年以上にわたって、尼崎市を中心に兵庫県高知県香川県岡山県滋賀県京都府の6府県で、数世帯の家族を長期間虐待、監禁し、10人以上を虐殺した凶悪な殺人犯である。以前の苗字は「月岡」。

警察は通報を受けたのにも関わらず全く動かなかった日本史上最悪の警察失態事件である。 警察(兵庫県警尼崎東署、香川県警高松東署、高松南署)は再三親族や、谷本誠さん、近隣住民などから被害相談や通報があったにも拘らず、全く対応することはなかった。

2011年11月の大江和子さんドラム缶事件で発覚した。

目次

事件概要

李 正則

主犯・角田美代子(64歳・2012年)は、従犯とされる親族の在日韓国人の李38歳(2012年)やその他数名の取り巻きを従えて、標的とした複数の家族を暴力的に支配して、家庭に居座る、裸で外を歩かせる、などあらゆる虐待を繰り返し、結果死亡した女性はドラム缶に詰める、などした。角田美代子らによって暴力的・精神的に支配された被害者家族らは家ごと乗っ取られ、互いに殴打し合わされたり、監禁され暴行されたり、全財産を奪われたりしたが、角田美代子の手口は巧妙で、自ら手を出すことは控えめだった。

角田美代子らは、些細なことに難癖をつけては弱みを見せる相手を脅迫し、多数の無法者を引き連れて家庭に侵入し、金品をむしり取ることを生業としており、夜の街で獲物を探し歩いていた。角田美代子は普段から飲み仲間に、「交通事故に遭ったら金になる」など当たり屋の指導をするなどし、うっかり隙を見せて食い物になってしまった家族らのその後は凄惨で、高松市の谷本家は2003年5月頃、餓死寸前になり、服も着させて貰えず、父親の谷本誠さんが全裸で長女の茉莉子さんをおんぶして親族の元に「何か食べさせてほしい」と、助けを求めてきたこともあった。

またある時は谷本夫婦揃って全裸で泣きながら親族に金を借りに来ることもあり、やがては親族までもが呼び出され、次女・瑠衣が「お父さん、ごめんね」と泣きながら両親を顔が腫れるまで殴らせられている光景を目の当たりにし、「情けなくてつらくて、ノイローゼになるかと思った」とショックを受けた。

しかし、警察(兵庫県警尼崎東署、香川県警高松東署、高松南署)は再三親族や、谷本誠さん、近隣住民などから被害相談や通報があったにも拘らず、全く対応することはなく、「事件ではないので動けない」などと繰り返し、結果的に長年の間、被害者たちはなすすべもなく角田らの暴力、虐待の前に見殺しにされ、2011年管轄外の大阪府警が大江香愛(ドラム缶遺体の大江和子さんの長女)の駆け込みを信じて捜査を行ったことで、ようやく事態が公になった。被害者たちは、何度も逃げたが、そのたびに連れ戻されていた。

また中には、保険金目的に崖から転落を強要されて殺された橋本さんもいるが、この時も警察は現場の聞き込みや生命保険契約有無の確認さえ怠り、角田美代子達の言うがまま事故として処理していた。また、兵庫県警は角田逮捕後も角田宅の現状維持さえ怠り、競売に出されるがままになっており、逮捕一年後、2012年10月になってようやく家宅捜索を行うが、既に一味残党に証拠隠滅のため、監禁小屋を撤去されてしまうなど捜査の遅れが目立った。2012年11月7日、角田美代子や李、その内縁の夫など8人が再逮捕、または逮捕された。

2012年12月12日、角田美代子は留置所にて自殺した。64歳。重要なニュースにもかかわらず、北朝鮮のミサイル発射や衆議院選挙などのニュースもあったためあまり報道されなかった。

手口

接点

角田美代子の手口は、被害者たちを次第に取り込んでいくことであり、まずはきっかけから(あるいは口実を作って)接点を持ち、弱みを握り、相手の些細な「落ち度」を咎めて10人近くの集団で家に押しかけ、自宅に乗り込んで事実上占領し、職場にも押しかけて、挙句に被害者たちを虐待して意のままにすることであった。

家宅占領後

そのうえで、なるだけ角田美代子自身は手を下さずに、李の他、取り巻き達を使い、あるいは恐怖によって怯えさせて家族同士を自分の指示通りに殴り合わさせることにより、家族間の信頼関係を破壊し、被害者宅の暴力支配を完成させていた。また、娘などの安全を肩にその両親を服従させることもしばしばだった。中には何年もの虐待の末に高松の谷本瑠衣などは、恐怖と安全への願いから角田美代子に洗脳されてしまうケースもあり、虐待された挙句、自ら角田美代子の養女になることを願い、次第に角田美代子の命じる犯行の実行犯となっていき、さらには角田美代子の息子(実際は義理の妹・美枝子の息子)と結婚させられていた。

集金

角田美代子の第一の目的は被害者の財産であり、集金方法には手段を選ばなかった。家含めて、被害者家庭の全資産を身ぐるみ剥いだのは言うまでもなく、「プライドを捨てさせるため」として被害者の子供に消費者金融から借りさせたり、両親、祖父母を脅迫して、親族の家までお金を借りに行かせたりした。また子供を脅して、子供の友人達からもお金を借りさせていた。

被害者の待遇

角田美代子のマンション。監禁部屋は木の塀でかこわれていた
角田美代子のマンション。監禁部屋は木の塀でかこわれていた

角田美代子は名義を変更させて被害者たちのマイホームを手に入れると、被害者たちを追い出し、自宅近くのワンルームのアパートに一家を丸ごと押し込んでいた。 角田美代子は集めた金で自身の分譲マンションに別ルームを購入し、そこにも他の被害者家族を押し込み、一部はベランダの犬小屋大の隔離小屋に起居させることもあった。また、逃亡を防止するため、時に裸で暮らさせ、被害者の妻は猿轡をかませられ、それを見た親族(女)の口からはとても言えないほど、卑猥で無残な姿で暮らしていた。

ベランダのこの小屋は複数個あって、外から施錠できる仕組みになっており、そこに閉じ込められた被害者へは、主に脅迫された親族らから継続的にリンチが行われ、少なくとも4名が衰弱して死亡している。またこの小屋を外から見られるのを防ぐため、ベランダの周囲には木製のフェンスが張り巡らされていた。

また虐待の方法も凄惨、多様で、谷本隆さん(68)は、両耳をつぶされ、両手足をバーナーで焼かれていた。また監禁されていた川村博之の元妻・大江裕子は唇はえぐれて、発見時、放心状態であり、殺された仲島茉莉子さん(29)は形が分からないほどに殴られて顔が変形しており、後日リンチの最中と思われる「生きているか死んでいるか分からない」写真を見せられた父親の谷本誠さんは慟哭した。

被害者・その被害

角田らの犯行によって、数世帯が壊滅に追い込まれ、一家は離散し、多くが殺された。またここに紹介する以外にも、何軒もの家族が崩壊、虐殺、奴隷化の憂き目に遭っている。

高松市の谷本誠一家

きっかけ

拷問の末、殺された仲島茉莉子さん(旧姓・谷本 茉莉子さん)

谷本誠一家は裕福で高松で保険代理店を経営し、マイホームの他に田畑等を持ち、地元の住民の話では上昇気流に乗っており、幸せな家庭を営んでいた。家族構成は、夫婦、姉妹の4人家族で、長女・茉莉子は英国に語学留学の後、IT企業に就職、ウェブデザイナーになることを夢見ていた。また上司の言うところによると、会社では非常に優秀で、デザイナーのエースだった。また次女・瑠衣は県内有数の進学校である高松高校に通い、成績優秀で、運動神経も非常によく友達も多かった。

しかし、角田美代子達と接点を持ってから、運命は暗転する。

事の始まりは、2003年2月、かつて谷本家でも過ごしたことのある遠縁の李正則を、角田美代子に執拗に頼まれて、「更生のため」として一時預かりを引き受けたことだった。李正則は素行は不良で、常に暴力をふるい、金銭を盗むことは日常的でT家のお金を500万円も使い込んだ。また次女の瑠衣を強姦したりもしたため、業を煮やした谷本誠さんは、李正則を角田の元に返したが、それが角田が谷本家に付け入るきっかけとなった。

角田の乗り込み

拷問の末、殺された仲島茉莉子さん(旧姓・谷本 茉莉子さん)
拷問の末、殺された仲島茉莉子さん(旧姓・谷本 茉莉子さん)

角田は李を追い出したことに「抗議」するため、2003年4月、やくざ風の若い衆10人ばかりを引き連れて、谷本家に乗り込んできた。あまりの剣幕と気勢、そして多少の弱みもあったため、谷本誠さんは話し合いのため、角田美代子達をとりあえず家の中にあげてしまったが、あっという間に主客転倒し、角田美代子らは谷本家に以後ずっと居座り続け、暴行などあらゆる狼藉を繰り返し、谷本家を完全に支配下に置いてしまった。

家の中では、谷本家の家族が外部に角田らに勝手に助けを求めにいくことを防ぐため、家の扉には外部から暗証番号式の鍵がかけられ、また服を脱がされ全裸にされ、食事は無論、大小便の回数まで制限され(排泄は1日に2回以下)、何をするにも角田美代子の許可が要るようになった。やがて食べ物も水(水は一日500mlに制限)も満足に与えられず、谷本誠さんは裸のまま、娘を背負って昼間に親族の家に食べ物を求めに行く姿さえ、目撃されている。

また角田美代子達は自らも暴力は振るったが、事件化を恐れて控えめで、なるべく家族達を脅して相互に争わせることに注力した。

最初に取り込まれたのは、姉妹(茉莉子当時21歳、瑠衣18歳)で、彼女達を屈服させるために暴力は勿論、全裸で街中を駆け回らせるような羞恥の極み的な手法が用いられた。結果的に彼女らは本意ではなくも、角田美代子達の理不尽な言いつけを聞くようになり、ある日は次女の瑠衣が泣きながら「お父さんごめん」と言いつつ、顔が腫れ上がるまで殴り続ける光景が目撃されている。

またある日は、角田美代子の部下達何人もに、谷本夫婦が水をかけられており、こうした光景を呼び出されて見学させられた親族らは、「情けなくてつらくて、ノイローゼになるかと思った」「あの当時は地獄だった」と振り返る。時には、夫婦で共に全裸のまま親族宅まで金を借り行かせられることもあり、ある日はT夫が殴られて形も留めぬほど、耳の外観が変わってしまった姿を見られており、あまりに沢山の血を流しながら歩いていた、と近隣の者が証言している。

またある日は谷本の妻が裸で正座させられているのを近隣住民が見かけており、こうした手法で、角田美代子らは谷本家の全財産に加えて、親族らから現金2000万円を巻き上げ、当然ながら、谷本家の稼業も廃業になり、長女・谷本茉莉子は後述する尼崎移転後は大阪営業所に転勤したが、すぐに退社、次女・瑠衣も高松高校を退学した。

尼崎への連行

角田に洗脳され共犯者となった妹の角田瑠衣(旧姓・谷本 瑠衣)
角田に洗脳され共犯者となった妹の角田瑠衣(旧姓・谷本 瑠衣)
殺害された谷本誠さんの兄・谷本 隆さん

こうして、すっかり取るものを取りつくしてしまった角田らは、谷本の長女・茉莉子と次女・瑠衣を連れて尼崎に引き上げたが、谷本の妻は、ショックと心労で一時和歌山まで逃亡する。程なくして高松の実家に戻ったところで、また暴行を受け、倒れて通行人に発見されるが、脳挫傷を負い入院、急性肺炎にかかり死亡する。

同じく、谷本家の妻方の祖母・皆吉ノリさん(87)とその長男である叔父、叔母も相次いで角田美代子らに襲われ、皆吉ノリさん(87)は監禁され、虐待死し、叔母も行方不明に、叔父は東京まで逃亡して病死している。この皆吉さんの家の床下から3人の遺体が発見された。

また引き揚げる際、茉莉子は「新天地で心機一転、やり直すことにしたの」と同僚に説明し、事件のことは「聞かないで」と友人にさえ隠していた。やがて、彼女は角田美代子に命令されて、「上納するから」と友達からお金を借りて回るようになり、その後職場を退社。角田美代子らと同居していた一味の仲島康司をあてがわれて結婚、入籍、改姓するが、やがて角田美代子と他の誘拐家族らから凄惨なリンチを受けるようになり、最後はベランダの犬小屋大の小屋に押し込められ、鍵を架けられて冬場でも全裸でそこで起居した。冬場に水をかけられる光景も目撃されており、最後はリンチの末に屋外の小屋に繋がれて虐待死した。

仲島茉莉子は顔面を数限りなく殴打され、また足で踏みつけられ、瞼には煙草を押し当てられ、死亡時には容貌は形が全く分からないほど変わり果て、写真を見せられた父親の谷本は慟哭した。

一方で、取り込まれてしまった次女・瑠衣は角田美代子から好かれて、「跡取りにしたい」と言われるようになり、自身も角田美代子の養女になることを希望して、改姓、さらには角田の実子の一人息子の優太郎と結婚する。角田息子と次女との間には、二人の子供が生まれている。

以後、次女・瑠衣は角田美代子の犯行の先棒を担うようになり、2012年、窃盗罪で逮捕された。他方、高松の谷本誠さんも身の危険を感じて家を出て、友人宅に一年間引きこもり、自身の受けた被害を警察に打ち明け、捜査を願うも、どの警察署からも相手にされず、「蜂の一突き」を願って偽名を使い、角田らの近所に潜伏した。また、谷本誠さんの兄・谷本隆さん(68)も「弟が心配」と40万円を持って出向いたところを、他の被害者らと同様に監禁され、殺害されて埋められており、警察はその家族の捜索願を受理しながらも、捜査をしようとはしなかった。

尼崎の大江一家

きっかけ

川村博之は大手電鉄会社に勤務しており、尼崎市内に二世帯住宅を構え、川村夫婦と妻の姉・大江香愛、妻の母・大江和子さん、子供二人の6人で幸せに暮らしていた。

角田一味との接点は、2009年4月に谷本の次女・瑠衣が引くベビーカーが電車のドアに挟まれたと、角田がクレームをつけた事に始まった。クレーム係として応対に出た川村博之だったが、オフィスに訪れた角田は李を「元ヤクザ、怒ったら手がつけられない」と紹介して脅迫する一方、川村博之の小さな長所を褒め、以後もしばしば訪れて、川村博之との関係を深めていく。やがて雑談の折に、川村博之は喫茶店経営など自分の夢やプライベートなことを話し出すが、そこに角田は付け入り始め、開店用として高価なカップを贈ったり土地を探すなど、次第に関わりは複雑化した。

一家の崩壊と家族会議

角田は、脅し、透かしで喫茶店開店を勧め、ついには川村博之も「おいしいコーヒーを入れる店を」と店の開業を決意する。

電鉄会社は反対するが、川村博之は「なんで辞めさせへんねん」と会社に怒鳴り込む始末であった。住宅ローンや娘二人も抱えていたため、同じく川村の妻・大江裕美も反対し夫婦仲は冷却、離婚話にも発展し、そこに仲裁を買って出た角田は李や瑠衣を伴い、週に一度川村博之の家族・親族を集め「家族会議」を開催する。

2011年11月についに川村夫婦は離婚するが、角田の催す「会議」はまだ終わらず、連日の招集になり食事や排泄制限、暴力までが入りはじめ、川村博之の妻の姉・大江香愛は会社を首になってしまった。

親族は、話というより拷問に遭っている感じで、毎日一日16時間延々と繰り返され、寝る間もままならなかった、と述懐する。角田らはあらかじめ大江家の子供たちを自分の家に預けさせていたため、「会議」を断ることも難しかったのである。挙句の果てには、川村の妻で大江家の次女・大江裕美を売春宿飛田新地で働くよう強要し、川村の退職金も喫茶店開業資金として借りたお金も全て巻き上げられてしまった。こうして一家は完全に崩壊した。

祖母・大江和子さんの殺害

角田の指示で、川村は家族と別れて主犯のマンションの近くのワンルームアパートに居住するが、やがて「娘の養育の責任」を口実に、大江一家全員のアパート移転を迫り、僅か一部屋に6人が雑居することになってしまう。

睡眠や食事、排泄は主犯らの許可が必要で、生活環境は劣悪だった。角田らからの暴力や虐待は常習で、時には川村の小5の娘までもが、角田の指示により、公園で大江家全員からリンチされることさえ起きていた。

家族の信頼関係は完全に崩壊し、こうした中、ついには2011年「一緒に暮らしていけない」と大江家の祖母・和子さんが脱出し、東京の親戚宅に移るが、直ちに居場所を突き止められ、連れ戻されて角田の命を受けた家族達に連日暴行、一時はそれでも脱出して通行人にと助けを求めるが最後には虐待死する。

司法解剖の結果、肋骨三本とのど骨の一部が折れており、胸や腹も強打され、喉が圧迫を受けていた。

姉・大江香愛の脱走と事件発覚

大江家の姉妹(妹の裕美が川村の妻)

続いて2011年11月、姉・香愛が脱走し、兵庫県警を避けて大阪府警に相談したところ、自身も負傷していたため、府警は事件性があると判断し、尼崎東署に連絡した。府警の要請で県警は角田らを捜査、祖母・和子さんの殺害が発覚した。和子さんはコンクリート詰めにされ、ドラム缶に密封されており、ここでようやく角田ら5人が逮捕された。

ただし、5人のうち、角田、李を除くと残りは川村夫婦、姉・香愛であり、こうして大江家の生存者全員は、全てを失ったうえに犯罪者にまでなってしまった。

大江の親族は、角田に対して「子供のショックは大きく、回復にはかなり時間がかかるようです」「正直、死刑にするくらいではまだ足りない。お母さんのような極限の空腹状態を一片味合わせてやりたい」と悔しさを吐露している。

事件発覚時、川村の妻は耳が欠け、唇がえぐれており、話しかけても放心したように無表情で、川村は、大江家祖母の殺害について「自分達がやった、資産管理は角田にお願いする」という遺書を書かされていた。角田は虐待するにあたって、通販カタログを丸く固めた「しばき棒」を使い、被害者の目や顔、唇を突き、傷ができ、かさぶたになると、その箇所をまた突いていた。

人物・角田 美代子

宅配預かると「壊した」角田はクレーマー

兵庫県尼崎市のドラム缶遺体事件で、主犯格とされる無職・角田美代子は、ささいなことに激高し、謝罪を迫る「クレーマー」として近隣住民から敬遠されていた。

子どもや身内には将来を案じる一面も見せていたが、住民らへの取材からは、執拗に他人をトラブルに巻き込んでいく姿が際立つ。

「あの人の宅配便は預かりたくなかった」。角田が7年ほど前まで住んでいた尼崎市内の賃貸マンションの住民が漏らす。

角田宛ての宅配便を預かって渡すと、「中身が壊れた」「調子が悪い」と弁償を要求され、住民らは次第に関わりを避けるようになった。角田は夫や子どもたちと同居しており、子ども同士がけんかすると、必ず相手の家にどなり込んだ。

角田の祖母宅近くに住む同市内の男性は、角田が20歳代の頃、「駐車違反を通報したやろ」と激しく詰め寄られた。角田は、祖母宅に立ち寄った際、男性宅前に車を止めていて駐車違反の取り締まりを受け、男性が通報したと因縁を付けた。男性が否定しても、自分の当時の交際相手まで呼び出し、2人がかりで何度も謝罪を求めた。男性は「若いのに暴力団かと思うぐらいの迫力でののしられ、会う度ににらまれた」と振り返る。

逮捕前には、角田が夫や妹、数人の男女など大勢を引き連れて出歩く姿も目撃されている。飲食店では、定職がないのに全員分の代金を支払っていたといい、住民らからは「どこから金が入っているのか」といぶかる声も出ていた。

難癖付けて金品要求。夜の街では「獲物」探し。角田のカツアゲ人生

3人を含め8人の死者・行方不明者と接点を持つ角田美代子は、弱みを見せる相手につけ込んではカネをむしり取る“カツアゲ”をシノギにしていた。生まれ育った尼崎のネオン街では、次の獲物を探し回るハイエナのような姿が度々目撃されていた。

「お前、この絨毯いくらする思てんねん!」

約10年前、角田は尼崎市内の自宅アパートで当時30代の主婦をこう怒鳴りつけた。同被告の背後には巨漢の男2人が後ろ手で仁王立ちし、異様な緊張感に包まれていたという。事情を知る地元の関係者が振り返る。

「(主婦が)手を滑らせて居間に敷かれていた絨毯にお茶をこぼしたのがトラブルの原因。それを材料に因縁を付け、(角田が)『弁償せえ。30万円払え』って言うてきたみたい」

結局、この主婦は角田に言われるまま、近くの金融機関で30万円を下ろして支払った。コトが終わると角田は主婦の耳元でこう囁いた。

「警察にチクったら、地の果てまで追い込んだる。わかってんなぁ。いつも見張ってるからな」

おびえきった主婦は数カ月後、住み慣れた地元を家族とともに夜逃げ同然に出ていったという。

「もともと2人は知り合いで、(主婦が角田を)相談相手として信頼しとったみたい。それが、初めて家に招かれた所でいきなり豹変した」

親身に接し、心を開いたとみるや、難癖を付けて金を搾り取る。これが角田の常套手段だ。

近所の住民らによると、同被告は建設会社を経営する父親の下で尼崎市に生まれ、地元の小中学校を卒業。高校は中退し、10代から水商売を始めた。周囲には「スナックや喫茶店を経営していた」と語っていたが、「正業を持っているようには見えなかった」(地元商店主)。

常軌を逸したクレーマーぶりで有名だったが、夜の街でも「獲物」を探し回っていた。

飲み仲間の1人は「お酒はほとんど飲みませんでしたけど、店に客が入ってくるたびにすごい目つきでにらみつけて反応をうかがっていた。相手が『何や』とやり返すと引くけど、おとなしそうな人やと、ここぞとばかりに因縁を付ける。常にターゲットを探してる感じ」と語る。

金銭への執着は非常に強く、「右手にごっつい大きな指輪を3つもはめて来てた。それを何回も見せて『えーやろー?』って聞く。『金の切れ目が縁の切れ目』とか、『世の中、銭や』ってしょっちゅう言っていた」(先の飲み仲間)。

この飲み仲間は、角田から「交通事故に遭ったらカネになる」と「当たり屋」の指南まで受けたという。なかでも印象的に残っているのがこの言葉。

「『金持ちでええなあ?』って聞いたら、ニヤリと笑って言ったんです。『一生食べていけんねん。生命保険もあるし』って。一体誰の生命保険やったんか」

角田の心を支配したどす黒い欲望。その闇は底知れない。

美代子、息子の通う中学に因縁つけ→校長、事態収拾で辞表

角田美代子の息子・角田優太郎が通っていた兵庫県尼崎市の市立中学校の元校長(63)が10月23日、取材に応じ、2002年に息子の卒業をめぐって美代子らとトラブルとなり、事態を収拾するため、教育長に辞表を提出していたことを明らかにした。

最終的には撤回されたが、「卒業させるために辞表を出した。今思えばおかしいが、それしか考えつかなかった」と当時の心境を振り返った。

関係者によると、角田優太郎は中学時代、ほとんど登校しておらず、美代子も「うちには家庭教師が3人おるからええんや」などと話していたという。

だが、突然、「学校は息子を放置していた」と因縁をつけ、留年させるよう要求。元校長は、2002年初めから美代子の自宅を数回訪れて話し合う中で、「卒業との交換条件と感じた」と辞表を提出し、美代子も同意したという。ただ、卒業式前日、角田優太郎が出席の条件とされていた金髪を黒く染め直していなかったことを、教諭らが指摘したところ、美代子が激高。数人の男を引き連れ、学校に乗り込んできたという。角田優太郎は卒業式を欠席した。

美代子をめぐってはささいなことで執拗にクレームをつけ、現金などを要求するケースが複数確認されている。

息子は溺愛…タレント養成所に。美代子の二つの顔

角田 優太郎

兵庫県警の捜査では、すでに判明している8人の死者・行方不明者と接点を持つ角田美代子が事件のカギを握るとみられている。自宅周辺では暴虐に振る舞う姿が頻繁に目撃されていた一方、限られた身内には甘い顔を見せるなど、美代子の両極端な素顔が浮かび上がっている。

美代子は尼崎市に生まれ、地元の小中学校を卒業。高校には進んだがまもなく中退した。20代前後の若さでスナックを経営し、横浜市で飲食店を開いたこともあった。

その後は地元に戻り、尼崎市内の賃貸マンションに戸籍上の義理の妹、三枝子らと居住。徐々に同居する男女が増え同じマンションの別の2部屋も借り、十数人の集団生活を送った。約10年前には近くの分譲マンションに移り住んだ。

こうした生活を送る中、自宅マンション周辺でも住民らに何かと因縁をつけ、現金を執拗に要求することもあった。同じマンションの住民女性は「屈強そうな男たちとエレベーターに乗っていた」と振り返る。別の女性も「あいさつをしても、にらまれるので怖かった」と言葉少なに話す。

美代子の息子・角田優太郎の中学時代を知る女性によると、美代子は優太郎をタレント養成所に通わせるなどし、ほとんど学校には通わせていなかったという。教諭が美代子に注意しても「うちは家庭教師が3人おるからええんや」といって無視し続けた。

また、幼いころに美代子が出入りしていたという無人の民家の近隣男性によると、住民らが庭の木を切ったところ、美代子が「無断で切った」といって数十万円を支払うよう要求したという。

一方、美代子がよく買い物に訪れていた商店街では、息子・角田優太郎と谷本家の娘、瑠衣の間にできた孫に「こうやるんやで」と金魚すくいの手本を見せ、何度も挑戦させる姿が目撃されていた。瑠衣を「私の跡取りにする」と吹聴するなど、気に入った人間には甘い顔を見せていた。

角田美代子のまわりの男達「金髪デブ軍団」と呼ばれてた

尼崎連続怪死事件の中心に位置するのが主犯とされる角田美代子(64)。
夫、長男、孫娘などの“ロイヤルファミリー”の配下となるのが角田によって崩壊させられた一家の面々。

さらに素性不明の若者も従え、外出時は最低でも5、6人を引き連れて行動。
角田は「みんな欲しいもん買えや」と声をかけながら、地元の商店街を闊歩していた。   地元スナックママがいう。   「角田のまわりの男の子たちはみんな太っていて金髪。だから近所では『金髪デブ軍団』って呼ばれていたんですよ」
  角田が住んでいたマンション近くの飲食店オーナーで、角田の家に訪れたことのある男性・Aさんは玄関口の二人の男を見たが、彼らも“金髪デブ軍団”の一員だった。

彼らはボディガードというよりもマンションのトラブルメーカーだったようだ。マンション住人がおそるおそる口にする。
  「あの男たち、本当に恐ろしいんです。赤ちゃんの泣き声がうるさいという理由で隣の住人を引っ越しさせたのは有名な話です。また、隣の家のお婆さんがベランダ越しに『お花が綺麗ねぇ』といったら、軍団の一員が『人の家を覗くな』と声を荒らげたこともあった」
  別のマンション住人の話。
  「一度、マンション住人の子がエレベータの隙間に鍵を落としてしまい、少しの間、エレベータがとまったことがあった。すると、その子のお母さんのもとに軍団の男たち5~6人が、『土下座せえ』って凄んでいた」
  彼らがどのような経緯をもって角田のもとに集ってきたのかは不明だ。だが、その“暴力装置”の中心には角田のいとこ・李正則(38)がいたという。
  捜査関係者はこう語る。
  「連続変死事件の様々なシーンで李の名前があがっている。李は元ノンプロの球児で腕力がとても強い。角田の右腕として地元の若者をリクルートして、集団を形成していったのではないでしょうか」

角田美代子の“暴力装置”李はインシュリン打ち焼肉食う

角田美代子の「角田帝国」に組み込まれ、内部の有力な情報はほとんど明らかになっていない。

そんな中、角田ファミリーと長らく交流を持つ人物・T氏を突き止めた。T氏は角田ファミリーの“暴力装置”と呼ばれる李正則の中学時代からの友人である。

元高校球児で腕力自慢の李は地元の若者を組織し、5~6人で商店街を闊歩していた。金髪で恰幅のいい李の風体から、近所住民は彼らを“金髪デブ軍団”と恐れた。 T氏は2年ほど前までは一団と交友関係にあり、お互いの家を行き来したりする仲だった。

過熱する報道では、主犯格の“黒い女王蜂”こと美代子は髪を巻いて宝石をつけた女性とされている。だが、週1回ぐらいの頻度で角田と会っていたT氏の抱く印象はまるで違う。

「“おばはん”(角田)は、シャネルを着た大金持ちのように報じられているでしょ。でも、髪はボサボサで化粧もしない。指輪やネックレスさえつけてなかった。ジャージ姿だった時も多いですね。いつも陰険な感じでうつむいていて前歯がないのを覚えている。今出ている和服の写真(別人のものだった)なんてぜんぜんイメージちがうね」

角田は家具や食器には異様な執着を見せる一方で、外見にはそこまで思い入れがないようだった。これは角田を取り巻く家族や仲間も同様だったそうだ。李を含めて皆ジャージ姿が多かった。

だが、角田は食については異様な関心を持っていた。

「あのグループが住んでいたマンションには、何度も行ったことがある。仲がよかったので、おばはんに『メシ食いにきいや』と呼ばれたんです。マンションで出されたのは、特上の寿司、上質の牛肉をつかった焼肉など。台所にはビールサーバーがあって生ビー

ルも出してくれる。卵も黄身が二つあるやつだったり、さくらんぼも桐箱に入った佐藤錦でした」

一団が集団生活を送っていたマンションは恐喝や殺害によって手に入れた金で購入したと報じられている。だが角田被告は「若い時に横浜に貿易会社をつくり、そのお金で買った」と吹聴していたという。

いずれにせよ、最上階の3LDKが角田の「帝国」だった。

「おばはんが絶対君主で、唯一口答えできるのが息子だった。あとはマサ(李被告)も夫も妹もみんな奴隷みたいなもんですよ。トイレへ行くにも、水を飲むのにも許可がいる。食えといわれたら何でも食わなきゃならない。マサは100kg以上あって重度の糖尿病なんですが、おばはんに勧められるままにインシュリンを打ちながら焼肉をパクパク食べまくっていて……このまま殺されるんじゃないかと思ってたね」

美代子らパチンコ三昧。高級外車で閉店まで

橋本次郎さん(当時53歳)の死体遺棄容疑で兵庫県警に逮捕された角田美代子ら集団生活していた容疑者8人がパチンコ三昧の生活を送っていた。

頻繁に泊まりがけで遠方の店へも出かけ、高級雑貨や洋酒を買い集めるぜいたくな暮らしぶりを自慢していた。県警はこうした生活を維持するために複数の家族に介入して金を巻き上げていたとみている。

「私は玉が出なくても、一日中、同じ台を打ち続ける」。美代子は約5年前、大阪市内のパチンコ店で知り合った自営業者の男性に、懐具合を自慢するように言った。

男性によると、この店には、美代子ら今回の逮捕者全員が高級外車など2台に分乗して頻繁に来店して閉店まで遊び続け、誰も定職についている様子はなかった。一行は新装開店や新規出店の情報に詳しく、「旅行を兼ねて遊んでくるわ」と言って、関東、北陸、中国地方などへも泊まりがけでパチンコに出かけていた。

男性は、尼崎市の美代子被告の自宅マンションに何度か招かれ、霜降り牛肉のしゃぶしゃぶなどを振る舞われた。美代子は、居間のショーケースに並ぶ高級洋酒などを指さして、「倉庫にもっとあるで」と自慢。男性は美代子らを資産家一家だと思い込んでいた。

美代子、弁護士も洗脳されかけた

兵庫県尼崎市の連続変死事件で、尼崎東署捜査本部は11月7日、橋本次郎さん(当時53)の遺体を岡山県の海に遺棄したなどとして、死体遺棄容疑で、無職角田美代子、義理のいとこの李正則ら8人を逮捕した。また美代子と接見した弁護士がマインドコントロールされそうになっていた。

尼崎東署捜査本部が事件の中心とみるのが美代子と李正則だ。美代子の指示で李が暴力を振るい、狙いを付けられた家族は引き裂かれ、離散した。

「とにかく口がうまい。相手の心をすぐに引き込むことができる」とは美代子を知る弁護士。「接見した若手弁護士が長時間密室で話しているうちにマインドコントロールされかけたと聞いた」という別の弁護士の話もある。捜査関係者は「計算ではなく直感的にやっていると思う」と話す。

美代子と李は義理のいとこで血のつながりはない。周囲の証言からは、人を巧みに操り意のままに支配する美代子と、側近のように行動を共にし、暴力で信頼に応えようとした李の姿が浮かぶ。「まさ、まさ」と息子のようにかわいがる美代子を、李も「おばちゃん」と慕った。

李は甲子園を夢見た野球少年。実力を認められて進学した香川県の高校を退学、約1年後に愛知県の高校へ編入した。「監督を甲子園に連れて行く」と練習に励んだ。李は高校卒業後、尼崎市に戻って正社員として働いたが、約2年で退職。2002年ごろ、美代子と知り合い、2004年に叔父の養子になった。

角田の暮らしぶり

角田美代子のマンション

角田は豪華なマンションに住み、入口には若い衆を侍らせ、室内をアンティーク家具などで飾っていた。また、バーが設けられた部屋では自慢の2億円相当のバカラクリスタルグラスが備えられていた。

角田の息子・優太郎は容姿に優れてたため、角田は幼少時から芸能界に進出させる夢を描いており、タレント養成所に通わせ学校にはほとんど通わせなかった。角田は孫には幼少時からシャネルを着せ、金魚に興味を示すと600匹も購入するなど身内への愛情にこと欠かなかった。冬期になると家をアンパンマンなどのキャラクターを表したイルミネーションで飾ることなどから近隣では有名な豪奢な暮らし振りであった。

尼崎事件 香川県警対応不十分認める方針(2013年4月)

兵庫県尼崎市の一連の殺人・死体遺棄事件で、香川県警察本部が、殺害された高松市出身の女性の家族への対応を検証した結果、家族などから36回にわたって通報や相談を受けていたにも関わらず、事件として捜査していなかった。香川県警は対応が不十分だったと認める方針で、検証結果を遺族に説明する。

一連の殺人・死体遺棄事件では、2012年10月、高松市出身の仲島茉莉子さん(当時26)が、尼崎市の住宅の床下から遺体で見つかり、自殺した角田美代子元被告の親族7人が殺人などの罪で起訴されている。元被告らは、平成15年に高松市の仲島さんの実家に居座り、多額の金を脅し取ったほか、家族の間で互いに暴行させるなどしていた。

香川県警察本部が内部で調査チームを作って当時の対応を検証した結果、平成15年から3年余りの間に、仲島さんの家族などから地元の警察署や警察本部への通報や相談は合わせて36回に上っていた。

このうち、平成15年9月には、110番通報を受けた警察官が、仲島さんの父親が耳や腕に殴られたようなけがをしていることに気付いていたほか、翌年の1月には父親が警察署を訪れて被害を訴えたが、事件として捜査するのは難しいとして受け付けなかった。

また、親類が、仲島さんの父親が多額の金を要求されたことなどをたびたび相談していたが、当事者どうしの話し合いや裁判所に相談することを勧めるにとどまっていたほか、近所の人や友人も、暴行を受けているようだなどと伝えていたが、警察は、直接の被害の申し出がないなどとして捜査に乗り出さなかった。

香川県警は「トラブルが起きていることがうかがえるにもかかわらず、警察の中で情報共有がうまくできず、積極的な対応が取れていなかった」として、不十分な対応だったことを認める方針で、近く検証結果を父親に説明したうえで公表する。

尼崎連続変死「娘ら捜して」と父が警察に懇願も…「まずは働いて」と職安紹介

兵庫県尼崎市の連続変死・行方不明事件で、主犯格とされる角田美代子元被告(64)=2012年12月に自殺=らに離散を強いられた高松市の一家の父親、谷本明さん(61)が2度にわたり、美代子元被告をめぐるトラブルを兵庫県警尼崎東署に相談していた。同署は捜査していなかった。

県警には美代子元被告らをめぐって約10件の相談や通報があった。県警は谷本さんらに当時の対応に関する検証結果の報告を始めており、近く公表する。

谷本さんらによると、美代子元被告らは平成15年2月ごろから半年間、谷本さん宅に居座り、家族間での暴力を強要。遺体で見つかった長女の仲島茉莉子さん=当時26歳=らを尼崎市内に連れ去った。

谷本さんは平成16年2月ごろ、尼崎東署から「谷本さん名義の車が放置されている」と連絡を受け、同署を訪問。美代子元被告の義理のいとこ、李正則(38)=殺人罪などで起訴=に盗まれたと被害を訴えたが、署員は「身内の話」と対応しなかった。

同年9月には再び同署を訪れ、美代子元被告の自宅マンション名を伝えて「娘らを捜してほしい」と訴えたが、「まず仕事が必要」と職業安定所を紹介されただけだった。

谷本さんは「茉莉ちゃんらは帰ってこない。警察が動いてくれたら2人は助かったかもしれない」と話した。谷本さん一家をめぐっては、茉莉子さんの友人が平成18年に県警明石署に相談をしていたが、対応されていなかった。

茉莉子さん救出訴えに署員「ただの友達でしょ」

兵庫県尼崎市の連続変死事件で、同市の民家から遺体で見つかった仲島茉莉子(まりこ)さん(死亡当時26歳)が角田美代子元被告(自殺、当時64歳)らに連れ戻される際、県警明石署に助けを求めた友人女性に対し、県警が「同署員が対応しなかったのは不適切だった」と認めて謝罪していた。

女性は茉莉子さんと2年余り、飲食店の同僚で、「私たちの訴えを警察が真剣に聞いてくれれば、茉莉子ちゃんを救えたかもしれない」と悔しがった。

女性によると、茉莉子さんと知り合ったのは2004年8月、大阪府内の飲食店だった。茉莉子さんは約5か月前から働いており、2人はすぐ打ち解け、一緒に買い物へ出掛けたり、神戸市の中華街・南京町などへ遊びに行ったりした。

「家族から逃げてる。連れ戻しに来るかもしれない」。2006年12月、思い詰めた表情の茉莉子さんから運転免許証の更新手続きに付き添うよう懇願された。もう一人の友人と「電車ではすぐ逃げられない」とレンタカーを借り、同月18日、兵庫県明石市運転免許更新センターに3人で行った。

だが、講習室を出た茉莉子さんの前に美代子元被告と妹角田瑠衣被告(27)(殺人罪などで起訴)、男3人が立ちふさがった。瑠衣被告が以前、警察に「姉が来たら教えてほしい」と頼んでおり、同センター経由で連絡が入ったとみられる。

茉莉子さんは観念したように「内々の話やから帰って」と言い、瑠衣被告らと近くの喫茶店に入った。

女性ら友人2人は近くの明石署へ駆け込み、刑事課で

「家族がやくざみたいな人と友達を連れ去ろうとしている。友達はかなりおびえている。今なら間に合うから来てほしい」

と涙ながらに訴えた。だが署員は

「あなたたちはただの友達でしょ。家族が一緒だから大丈夫じゃないですか。帰ってもらえますか」

と言うだけだった。同署から戻る途中、踏切の一時不停止で取り締まられた際も警察官2人に訴えたが、「担当外なので」と対応を拒否された。

「生き残った者として話す」茉莉子・瑠衣姉妹「父」の叫び(2014年2月)

仲島茉莉子さんと妹の角田瑠衣被告の写真を前に父親の男性は悲痛な思いを語った。

兵庫県尼崎市の連続変死・行方不明事件は兵庫、香川、沖縄の各県警の合同捜査本部が解散し、捜査が終結した。8人が犠牲になり、今も3人が行方不明、逮捕者が10人に上った一連の事件は、主犯格とされる角田美代子=当時64歳=が自殺するなど異例の展開をたどり、いまだ「謎」を残したままだ。家族をバラバラにされたうえ殺され、娘2人が犠牲者と加害者に分かれるなど想像を絶する苦難を味わった男性(62)が、改めて事件への思いを語った。

男性は、犠牲となった仲島茉莉子さん=当時26歳=と、殺人罪などで起訴された角田瑠衣(28)姉妹の父親。一連の事件では、元妻の皆吉初代さん=当時59歳=と、兄の谷本隆さん=当時59歳=も亡くした。

「茉莉子さんのお父さんですか?」。男性はうなずいた。「事件のことは思い出したくない。でも、生き残ったものとして話そうと思う」。そう言って重い口を開いてくれた。

男性は以前、高松市内で保険代理店を経営し、元妻の初代さんと長女の茉莉子さん、次女の瑠衣被告の4人で平穏に暮らしていた。だが平成15年2月、男性宅に美代子らが男性のおいの李正則(39)=殺人罪などで起訴=の世話をめぐって乗り込んできて、一家の生活は崩壊した。

連日深夜3時まで「家族会議」として話し合いをさせられ、親族間の暴力を強要された。生活費などとして毎日のように数万~数十万円ずつ要求され、所持金がなくなると、近所をかけずり回って現金を集めた。

軟禁状態の男性は仕事もできず、初代さんとの離婚を強要された。「茉莉ちゃんは暴力と空腹と恐怖で次第におかしくなっていった。幼かった瑠衣ちゃんは、次第に美代子元被告らに取り込まれていった…」

何日も続く異常な生活。「このままでは死んでしまう」。すきを見て初代さんと茉莉子さんを逃がし、自分も逃げた。15年8月のことだ。

男性は友人宅を転々としながら、1年後の16年8月に尼崎市にたどり着き、偽名で生活を始めた。尼崎に戻ってきた美代子らにいつ見つかるかという恐怖もあったが、「家族に会えるかもしれない」との思いから離れられなかった。

美代子らに見つからないよう夜にだけ行動し、茉莉子さんや瑠衣被告を捜した。美代子の自宅近くまで行くこともあったという。

「みんなどこかで生きているはず。また家族で暮らしたい」。そんな思いから2DKのマンションを借り、茉莉子さんらの部屋を用意した。

事件は平成23年11月、尼崎市でドラム缶に入った大江和子さん=当時66歳=の遺体が見つかったことで表面化した。男性は、事件を報じる新聞の切り抜きを手に検察庁に駆け込んだ。「似たような事件があったんです」。その後、美代子元被告らによる事件が次々と明らかになっていったが、まさか茉莉子さんが死んでいるとは想像もしなかった。

平成24年10月に尼崎市の民家の床下から茉莉子さんと兄の隆さんの遺体が発見され、初代さんも亡くなっていたことが判明。瑠衣被告は逮捕された。「加害者と被害者の父になってしまった…」家族や兄を助けられなかった自分を責め続けた男性だが、一方で「生き残ったものとして、やるべきことがある」とも思うようになった。

「お父さん、お誕生日おめでとう」。2014年の男性の誕生日に瑠衣被告から弁護士を通じ、祝いの言葉が伝えられたという。瑠衣被告にとって、生き残った家族は男性だけ。「瑠衣が、何があったか正直に話していると聞き、安心した」。男性はそう話す

今後、開かれる裁判員裁判で、すべてが明らかになることを願う。だが、それは、瑠衣被告が加害者である現実と正面から向き合うことでもある。「瑠衣も最初は被害者だった。でも、やったことに関してはきちんと裁判で明らかにして、罪を償ってもらわなければいけない」

高松から逃げ出した後、茉莉子さんや初代さんの行方は知らなかったが、その後の捜査で、茉莉子さんが2度、尼崎の美代子宅から逃げ出していたことが分かった。平成16年から約2年間、大阪府内でアルバイトをしながら暮らしていたことも分かり、当時の友人らに話を聞くこともできた。

一方、初代さんは和歌山県内のホテルで住み込みの仲居として4年間働いていた。「茉莉ちゃんや初代が、美代子元被告たちから逃げて、幸せに暮らした時間があったと知ってうれしかった」。男性は涙ぐんだ。

最近は、茉莉子さんの知人らから当時の話を聞く機会があるという。茉莉子さんの友人からもらった写真には、カラオケや居酒屋で楽しそうに笑う茉莉子さんの姿があった。男性は「家族の空白の時間を埋めたい」との思いが募るという。

2014年3月13日、兵庫県警などの捜査本部は解散した。これまで延べ約8万人の捜査員を投入し、犠牲者8人の事件を立件。神戸地検はこのうち茉莉子さんや初代さんら6人について、美代子の親族ら10人を殺人や傷害致死罪などで起訴した。しかし男性の義理の母、皆吉ノリさん=発見時88歳=ら2人の死亡については、時効成立などで不起訴となった。

「法律上では不起訴になっても、犠牲者は犠牲者。罪は罪だ。みんな理不尽な殺され方をして、怒りや悔しさは収まらない」。男性は強い口調で話した。

当時の警察の対応についても、不信感は消えない。兵庫県警は平成25年4月、美代子らによる暴行や監禁で離散に追い込まれた男性の一家ら3家族について、被害親族や友人らから尼崎東署など5署に計10件14回の相談・通報があったが、このうち6件10回で適切な対応をとらず、事件を把握する機会を逸していたとの検証結果を公表した。

この中には、男性や茉莉子さんの友人らが訴えた6件10回の相談・通報も含まれるが、県警は家族内でのトラブルを理由に取り合わなかった。「きちんと対応してくれたら助かったかもしれない」。男性は悔しさをにじませる。

もちろん、「ここまで事件を明らかにしてもらい、刑事さんたちにはお世話になった」と感謝の気持ちもある。だからこそ「この事件を教訓に、警察には市民の助けを求める声をきちんと拾い上げてほしい」と願う。

男性はこうも言う。「世間にとって事件は過去になるが、被害者には終わりがない。マスコミも、事件が起こったときにだけ報道するのでなく、同じような事件が起きないよう、よりよい社会をつくるための取材をしてほしい」。報道する側にとって重い言葉だ。

裁判

元被告の次男、初公判「殺人、企てていない」(2014年11月)

兵庫県尼崎市の連続変死・行方不明事件で、殺人などの罪に問われた角田美代子元被告=自殺、当時64歳=の次男、優太郎被告(27)の裁判員裁判の初公判が19日、神戸地裁(増田耕児裁判長)で開かれ、優太郎被告は「殺そうと企てていない」と述べ、被害者2人に対する殺人罪を否認した。

首謀者とされる元被告と同居していた被告の裁判員裁判は初めて。裁判員在任期間は過去最長の132日間に及ぶ見通し。

検察側は冒頭陳述で、事件に関係した人物を紹介した上で、「元被告の意向に従って殺人などを繰り返していた」と指摘。

弁護側は「元被告から暴力を振るわれ、性的虐待も受けていた」とし、虐待による心的外傷後ストレス障害(PTSD)で困難に直面すると無関心に陥る心理状態が犯行に影響を与えたとした。

起訴状によると、優太郎被告は元被告らと共謀して平成17年の沖縄旅行中に角田久芳さん=当時51歳=に崖からの飛び降り自殺を命じて死亡させ、20年に仲島茉莉子さん=同26歳=をマンションの小屋に監禁し、暴行や虐待の末に衰弱死させたなどとしている。

義理の娘に30年求刑(2015年12月)

兵庫県尼崎市の連続変死事件で、3件の殺人罪などに問われた角田美代子元被告(自殺、当時64歳)の義理の娘・瑠衣被告(30)の裁判員裁判12月24日神戸地裁であり、検察側は懲役30年を求刑した。

論告では「自ら暴力を振るうなど重要な役割を果たした」と主張。弁護側は最終弁論で、死亡した5人の同居人に対する九つの罪のうち、3件の殺人など八つの罪を否認し、結審した。判決は2016年2月12日

瑠衣被告は、美代子元被告の次男・優太郎受刑者(28)の妻。一連の事件で起訴された元被告の親族ら7人の裁判員裁判では、瑠衣被告以外の6人に1審判決が出ており、うち4人は確定した。

検察側は論告で、瑠衣被告は元被告に心酔し、犯行に積極的に加担したと強調。求刑を懲役30年とした理由については、「3件の殺人罪は死刑や無期懲役相当だが、捜査段階や公判で詳細を語り、真相解明に協力した」などと説明した。

弁護側は最終弁論で、「元被告のマインドコントロール下にあり、逆らえなかった」とする心理鑑定結果から、従属的立場だったと反論した。

関連項目