竹山隆範

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竹山 隆範(たけやま たかのり、1971年4月2日 - )は、日本お笑い芸人。元カンニングボケ担当。俳優としても活動。別名、カンニング竹山(カンニングたけやま)。

福岡県福岡市城南区出身。吉本興業渡辺プロダクション→個人事務所(事務所名不詳)→サンミュージック企画→フリーフォークス(MANZAI-Cの個人事務所)を経て、サンミュージックプロダクション所属。身長167.2cm、体重86.6kg。

来歴[編集]

福岡県立早良高等学校卒業。上京して大学卒業後芸人になるつもりだったが大学(高千穂商科大学帝京大学)を不合格になり、予備校に通う。 1990年、浪人中だった小学校の同級生であるケン坊田中と「ター坊ケン坊」を結成しTNCのオーディション番組「第1回お笑いめんたいこ」で優勝。翌年1991年に正式にデビュー。博多華丸・大吉コンバット満らが同期に当たる。その後コンビを解散し、仕事が減り単身で逃げるように上京、たまたま東京の定食屋で、当時まだ板前を福岡でしていた小中学校の同級生中島忠幸と再会する。

1992年、中島と組んで「カンニング」を結成し渡辺プロダクション所属となる。その後独立し個人事務所を設立したがうまくいかずサンミュージック入り。当初お笑い芸人はカンニングのみだった。その後フリーフォークス所属からぶっちゃあの呼びかけでまたサンミュージックに出戻る。

2004年、冬に中島が白血病のため入院。コンビ活動を中断し「カンニング竹山」として単独で芸能活動を開始。2006年12月20日、療養中の中島が死去。以後ピン芸人「カンニング竹山」として芸能活動を続けている(中井正広のブラックバラエティのように本名で出演しているものもあるため常時使用しているという訳ではない)。

2007年3月30日、結婚。竹山は本当は3月30日が誕生日であり、同学年より一年多く過ごせるという理由により親に4月2日を誕生日にされたのだという。モヤモヤした気持ちをこの日付に持ち続けていたため、この日を結婚記念日とした。

2008年、役者として初の役名(藤井哲男役)付き映画となる『イエスタデイズ』に出演。


波乱万丈な半生[編集]

2011年3月21日に放送された、『ブラマヨとゆかいな仲間たち アツアツっ!』では、自らの波乱万丈な人生を語っている。その内容は以下の通り。

  • 父親が事業を行っており、9歳までは非常に裕福に育った。幼稚園へは運転手が運転する白いベンツで通っていたほど。リビングには、虎の剥製や、火縄銃が飾られていた。
  • 9歳の時に父親が経営する会社が倒産し、一転して借金取りに追われる生活となる。この時、子供心に「人はお金が絡むと豹変する」と痛感したという。
  • 竹山が高校生の頃、バブルに便乗する形で父親の羽振りが再び良くなる。ある日、小高い丘に連れて行かれ、そこから見える2つの山を父親が指差し、「明日から、あそこからあそこまでが俺の物たい」と言った。
  • しかし、竹山が上京した後に再び父の会社の経営が傾き、返済計画を話し合う会議の途中に父親が倒れ、そのまま死亡。
  • 父の死後、東京の竹山に裁判所から書類が届き、全く身に覚えのない13億円もの借金を背負わされていることが発覚(竹山の兄は20億円の借金を背負った)。結局、相続放棄をする形でその負債を免れた。
  • 父親がどんな会社を経営していたのか、竹山は全く知らない。母親に尋ねても、「もういいじゃない」とはぐらかされるという。
  • 芸人として全く売れていない20代前半に、遊興費のために借金を重ね、450万円にまで膨らんだ。部屋に借金取りが押し寄せ、ネタ作りもままならない状態で舞台に臨んで、苦し紛れに生まれたのが「キレ芸」だったという。その芸は客受けは悪かったが、芸人仲間からは評価が高かったため、本格的にお笑いをすることを決意。
  • 450万円の借金は、特定調停を申し入れて債務整理をした。調停の過程で調停委員から生活態度について厳しく叱責された。また、「芸人なんだったら何か面白いことをやってみなさい」と詰め寄られ、咄嗟に『ペロンチョ』というギャグを作った(後述の『内村プロデュース』内でのエピソードとは異なる)。

キャラクター[編集]

額縁メガネをかけていて、誰とかまわず(時には自虐的に)キレまくる。しかし、あまり暴走し過ぎると相方の中島に逆ギレされ、途端に落ち込む事もあった。暴走すると行う行動の1つに、コント中に他の芸人のネタをパクろうとしたり(『笑いの金メダル』では「パクリン」というキャラクターに扮してひたすら他の芸人のネタをぱくりまくっていた)、スタンドマイクから離れて大声を出したり、スタンドマイクを手に持ち客に突きつけたりする等の芸がある。数多くいる毒舌芸人やキレキャラクターの一人に数えられる。

最近では逆に「いじられてキレる」パターンが定着しつつありリアクション芸人に近い芸風になっている。また、出始めた時に比べてキレる頻度はどんどん少なくなって来ており、むしろ真面目で温厚な素を前面に出して、他の芸人が暴走するのを抑える立場になることが多い。本当は司会がやりたくて芸能界に入った。そして2006年からテレビ東京で本人初の冠番組竹山先生。』が放送された。この番組は、2007年3月31日に終了した。

アンタッチャブルの山崎と仲がいいが、上記のいじられてキレるという一連の流れを、ロンドンハーツ竹山いじりと名物とされている。山崎は「何をやめても竹山いじりだけはやめられない」と述べている。

バラエティ番組だけでなく、朝の情報番組であるやじうまプラスでのコメンテーターとしての出演や、ドラマ・映画での俳優としての出演など、活動の幅も広い。それゆえ上記の「竹山イジリ」の一環で俳優竹山といじられることも多い。

竹山がアニメキャラとなる時は、必ず頭頂部が薄いキャラが登場している。

先輩のダチョウ倶楽部上島竜兵と仲がよく竜兵会にも所属しており、上島と「キレキャラ」「いじられキャラ」の芸風が若干似ている。そのせいか、『手紙バラエティ 三丁目のポスト』の2007年11月の回で、女子プロレス団体「アイスリボン」の聖菜りほ姉妹から10月7日市ヶ谷大会前にてプロレス技をかけられる。

幼少期、ヴァイオリンを3年間習っていた事があり、その経験からABCテレビ系『笑いの金メダル』では「バイオリン忍者ター坊」というキャラクターで登場していた時期がある。ネタのパターンは波田陽区の「ギター侍」のパロディで、ネタにした相手を斬るのではなく全て自虐ネタをオチとしている点が異なっており、最後は「残念でござる。ニンニン」で締めくくられていた。後に一度だけ「バイオリン力士」で登場したこともあるが本人は嫌がっていた。終了後に上田晋也くりぃむしちゅー)に「次は何だ? バイオリン殿様か?」等と言われ「やりませんよ!」とキレていた。

同事務所の鳥居みゆきと共演することが多く、その際には鳥居の暴走を竹山がうまくなだめるというコントが恒例である。

大の女性アナウンサー好きとされ、「女子アナマニア」を自称する。「週刊プレイボーイ」に女子アナに関するコラムを連載しているほか、民放キー局のアナウンサー関連のバラエティ番組にはほとんどの番組に出演している。

飛行機マニアとしても知られ、乗るのも見るのも好きだという。また、ただ乗るだけではなく、マイルの裏技を駆使するなど、少しでも満喫できるように搭乗している[1]


また中島の死後、バラエティ番組などでは標準語を話しているがコンビ時代やネタをやる時、暴走した時は強烈な博多弁が出る。

探偵!ナイトスクープでは本来の地である人のいい部分を出しており、あまりキレキャラの時の様なツッコミはせず、苦笑や呆れるコメントをする事が多い。また、依頼者が子どもであるときは丁寧に話を聞いて、親身に対応している場面も見られる。

現在の出演番組[編集]

テレビ[編集]

レギュラー番組
準レギュラー番組

ラジオ[編集]

過去に出演した番組[編集]

特別番組[編集]

テレビドラマ[編集]

ラジオ[編集]

ター坊ケン坊時代にKBCラジオでラジオデビュー。

CM[編集]

映画[編集]

DVD[編集]

  • カンニングの思い出づくり(2005年1月14日、BSフジ/ポニーキャニオン
  • 死球〜DEAD BALL〜vol.5(2005年8月25日、ビデオメーカー)
  • カンニングの恋愛中毒 恋人達を襲うドエロ幽霊を追え!! in木更津(2006年5月26日、TLIP)
  • カンニングの恋愛中毒 一人暮らしの美女を襲うドエロ・ストーカーを追え!!(2006年5月26日、TLIP)
  • 竹山のやりたい100のこと〜ザキヤマ&河本のイジリ旅〜イジリ 1 俺がシャツって言ったらシャツなんだよ! の巻(2012年11月21日/ポニーキャニオン)
  • 竹山のやりたい100のこと〜ザキヤマ&河本のイジリ旅〜イジリ 2 首はホントに持ってかれるぞ! の巻(2012年11月21日)
  • 竹山のやりたい100のこと〜ザキヤマ&河本のイジリ旅〜イジリ 3 お前ら、性で遊ぶな! の巻(2012年11月21日)
  • 竹山のやりたい100のこと〜ザキヤマ&河本のイジリ旅〜イジリ4 マイクロは寝ろよ!の巻(2013年3月20日)
  • 竹山のやりたい100のこと〜ザキヤマ&河本のイジリ旅〜イジリ5 死んだらここに埋めれがいいが!の巻(2013年3月20日)

CD[編集]

  • カンニングのヘイ・ユウ・ブルース
  • No.1(2005年11月23日、ERJ)※U.N.O.BANDとして

インターネットコンテンツ[編集]

  • ショートカッツ-実写版- #18 黒坂先生(小学館マイクロムービーズ)[3]

著書[編集]

脚注[編集]

  1. 2008年5月11日 『がっちりマンデー!!
  2. 日テレNEWS24(CS)制作。同局から地上波ネット局へ裏送りネットでの放送。
  3. ショートカッツ実写版

外部リンク[編集]