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文学少女(ぶんがくしょうじょ)とは、文学作品を読むことが好き、あるいは、文学作品を書くことが好き、もしくは、その両方に該当する、少女のことである。文脈次第で小学生~20代前半頃まで幅広い層を指す事も不可能ではないが、多くは、中学生~高校生ぐらいの女性を想定して使われる。「文学青年」という言葉が暗いイメージで使われる事が多いのに対し、「文学少女」は理智的・クール・頭脳派な良いイメージをもって使われる事もしばしば有り、若干ニュアンスの相違が見られる(無論、「文学青年」同様、暗いイメージで使われる事もある)。

歴史的経緯[編集]

なぜ「文学」と「少女」というさほど珍しくない概念同士のセットを表すのに、わざわざ「文学少女」という連語がつくられ、一般にまで浸透しているのだろうか。それには以下のような歴史的背景があると考えてもさほど不自然ではなかろう。

女性の社会的地位が向上しはじめたのは昭和中期ごろであり、それ以前までは、女性が過度な勉学を積むということは良くない事だとされていた。(それよりも、炊事・洗濯・掃除・裁縫などの、日常的なスキルを磨いて、良妻賢母を目指すことが良いことであるとされた。)そのため文学を愛する少女というのは、奇妙な・ちょっと変わった・ひねくれた存在であり、語弊を恐れず大げさにいえば反社会的な人物として扱われてさえあった。この扱われ方は、たとえ結婚した後の女性(少女とはいえない年齢の女性)であっても同じであった。子供だからダメなどというのではなく、女性である以上、年をとって大人になろうが文学にふれることは非常識なことだったのである。[1]近代の女性たちは、社会的に文学にふれることを禁じられたが、禁じられてもなお、むしろ禁じられればこそ、文学への愛着を深くした。なぜ当時の女性たちがそれほど文学に夢中になったのかは、簡単には説明しきれない。大きい理由としては、学校を卒業するとまもなく、半ば強制的に結婚させられ、家庭をもち、味気ない主婦生活に入った人たちにとって、文学が「少女時代」へのノスタルジアを感じさせるものだったからだ、ということが挙げられるだろう。当時彼女たちが愛した文学のうちかなり多くの部分が、学生時代の少女たちをテーマにしたものであった。(たとえば大正5年~13年にかけて発表された吉屋信子の小説『花物語』などが代表例として挙げられよう。むろん、これらの作品と並行して夏目漱石のような文豪たちもよく読まれていた。[2])いまだ主婦生活に入っていない学生たちにとっても、いずれ自分が短い学生生活を終え、同じく主婦の側に入っていくのだということは当然のこととして認知されている。そのあまりに短いモラトリアムを惜しむ意味で、学生たちも文学を愛した、と説明できよう。しかし事の次第は複雑であり、上以外にもいくつかの理由が絡みあっていたことだろう。[3]

また、この頃女性たちは、女性雑誌の投稿欄を通じて、文章を創作し発表することも行いだした。軽い感想やお便りのようなものから始まり、エッセイ・短歌、さらには短編小説と、いろいろなものが掲載され、中には懸賞つきのものもあった。やがてプロの書き手となる人もおり、先に上げた『花物語』の作者の吉屋信子などが代表例である。これもまた「創作する側の文学少女」のひとつの起源といえることだろう。彼女たちの文章は、彼女たちの間でしか通用しない独特の文章で書かれており、当時から賛否両論があった。特徴的な点としては、異常なまでに感情的・抒情的文章、哀愁や孤独感の描写、疑問符・感嘆符・カタカナ語(スクールライフ、ロマンスetc)の多用、「・・・ましね」「・・・ますわ」「・・・ですわねえ」などの独特の語尾表現(終助詞)、同じ少女(同じ少女雑誌の購読者)である以上たとえ実際には会ったことがない人であっても強い同胞意識をもつこと、などがあげられる。こうした文章によって描かれたものは、しばしば誇張された虚構のものであったが、雑誌購読者全員がひとつの虚構を共有することによって、彼女たちの連帯意識を生むことに寄与していたといえる。大まかにいえば、彼女たちは結婚した後でも自分たちの少女時代を(心理的に)保存しておくために、特徴的な文体によってひとつの虚構をつくりあげていたのである。[4]

当時は男女別学があたりまえであるため、学生時代のエピソードといえば、女性同士の話しかない。当時の女学生たちは「S(エス)」と呼ばれる独特の関係を互いに結んでいたようである。これは Sister の略で、特定の女子同士の、親子愛とも姉妹愛とも同性愛ともつかない、奇妙な関係性のことである。(ミッションスクールが多かったことを考えると、Sister → S というネーミングには、キリスト教的な影響があるといえるかもしれない。)読者投稿欄の短信を見ても、少女向け小説を見ても、こうしたSにまつわるエピソードを扱ったものは非常に多い。[5]ところで、菅聡子の分析によれば、Sのストーリーは時代の変遷に伴い形をかえ、現在ではBLという形式に受け継がれているという。つまり極論を承知でいえば、BLを愛する腐女子こそが、最も正当な文学少女の後継者であると言えなくもないのである。/(^o^)\ ナンテコッタイ

萌え属性として[編集]

現在では、少女が文学を読む・書くことは不自然なことでは無くなっており、むしろ理智的なイメージのために、萌え属性のひとつとして「文学少女」が挙げられることもあるなど、良いイメージで捉えられることも多い。また「本をよく読む人は眼鏡をしている」という昔からのイメージにより、眼鏡っ娘の萌え属性とセットになって扱われることも多い。

このため、恋愛ゲーム(特に学園もの)では、図書室がイベント発生場所の定番のひとつとなっている。

作品[編集]

メインテーマとしている作品[編集]

「文学少女」をメインテーマとしている作品を以下に掲げる。(カッコ)内は、作者名、発表年。

登場する作品[編集]

文学少女がキャラクターの一人として登場する、または、作品内で文学少女について触れる箇所があるけれども、作品全体のメインテーマとまではいえないものについては、以下に掲げる。なお、(カッコ)内は具体的なキャラクター名。

その他[編集]


脚注[編集]

  1. 以下、川村邦光『オトメの祈り 近代女性イメージの誕生』(紀伊國屋書店、1993年発行、ISBN 4-314-00606-4)の139ページより引用。
    木村涼子は「婦人雑誌の情報空間と女性大衆読者層の成立」のなかで、『主婦之友』〔一九二五年〕の読者投稿欄から、「一寸新聞を読むということすらできません。御誌を手にした日なんか、もう読みたくて読みたくて仕方がなくても、すぐ「女のくせに」が出ますから、夫が外出でもするときまで、我慢している始末」「姑がむずかしい人で、雑誌や新聞を読むことを好みません」といった“読書する女”の声を拾いあげている。
    大正期の女性が人前で堂々と文学に触れることができず、苦悶しているさまがよくわかる。川村の本書は、そのあたりの事情について多くの資料をあげて非常に詳しくまとめてあげているので、興味のあるかたは是非ご一読を。
  2. たとえば『女学世界』1920年9月号の読者投稿欄には以下のような記述がある。「私はあらゆる本を読みました、夏目さんや、樗牛独歩のはもとより、哲学、修養、宗教の本から西洋文芸も新進作家のも一通りは目をとおしました。」
  3. 「文学」と「少女」の歴史的関連について、より詳しく知りたい方は、上で紹介している川村の書籍や、菅聡子『「少女小説」ワンダーランド 明治から平成までISBN 978-4625684081 などが非常に参考になるだろう。もし読んだなら、ついでにこの記事に加筆してくれると、とっても嬉しいです。
  4. 川村邦光はこれを「創造の共同体」「オトメ共同体」などと呼称する。
  5. 川村、前出書、p.113より引用。「オトメたちは恋をする。「うら若い乙女の血潮」が騒ぎもすれば、騒がせられもする。また、「乙女の小さなハートには秋の哀れが、しみ/\゛と感じられ」もする。それはあくまでも<オトメ共同体>のなかでのみ可能であるにすぎない。男との恋の悩みなどは、決してでてこない。異性が欠落しているのだ。異性としては、せいぜい兄くらいしかでてこない。」