「孝霊天皇」の版間の差分

提供: Yourpedia
移動: 案内検索
(91.214.45.49 (トーク) による第112627版を取り消し)
(wpから転載)
1行目: 1行目:
* この皇帝は、第7代天皇。
+
{{特殊文字}}
 +
<!--{{基礎情報 天皇
 +
| 名  = 孝霊天皇
 +
| 代数= 第7
 +
| 画像= Tennō Kōrei thumb.jpg
 +
| 説明=
 +
| 在位= [[紀元前290年]][[2月19日]] - [[紀元前215年]][[3月27日]]
 +
| 時代=
 +
| 年号=
 +
| 首都=
 +
| 皇居= [[庵戸宮|黒田廬戸宮(庵戸宮)]]
 +
| 諱  =
 +
| 幼称=
 +
| 別名= 大日本根子彦太瓊尊<br/>大倭根子日子賦斗邇命
 +
| 印  =
 +
| 生年= [[紀元前342年]]
 +
| 生地=
 +
| 没年= [[紀元前215年]][[3月27日]]
 +
| 没地=
 +
| 陵墓= 片丘馬坂陵
 +
| 先代= [[孝安天皇]]
 +
| 次代= [[孝元天皇]]
 +
| 子  = [[孝元天皇]]<br/>[[千千速比売命]]<br/>[[倭迹迹日百襲媛命]]<br/>日子刺肩別命<br/>[[彦五十狭芹彦命]]<br/>[[倭迹迹稚屋姫命]]<br/>[[彦狭島命]]<br/>[[稚武彦命]]
 +
| 皇后= [[細媛命]]
 +
| 中宮=
 +
| 女御=
 +
| 更衣=
 +
| 夫人=
 +
| 夫  =
 +
| 父親= [[孝安天皇]]
 +
| 母親= [[押媛]]
 +
| 注釈= 欠史八代の一人
 +
|}}-->
 +
[[ファイル:Emperor family tree of Japan 1-10 (ja).svg|thumb|400px|天皇略系図(初代 - 第10代) [[media:Emperor family tree of Japan 1-10 (ja).svg|SVGで表示(対応ブラウザのみ)]]]]
 +
'''孝霊天皇'''(こうれいてんのう、孝安天皇51年([[紀元前342年]])- 孝霊天皇76年[[2月8日 (旧暦)|2月8日]]([[紀元前215年]][[3月27日]]))は、『[[古事記]]』『[[日本書紀]]』に記される第7代[[天皇]](在位:孝霊天皇元年[[1月12日 (旧暦)|1月12日]]([[紀元前290年]][[2月19日]]) - 同76年[[2月8日 (旧暦)|2月8日]]([[紀元前215年]][[3月27日]]))。'''大日本根子彦太瓊尊'''(おおやまとねこひこふとにのみこと)・大倭根子日子賦斗邇命(『古事記』)。
 +
 
 +
「ヤマトネコ」という称号は7代孝霊・8代孝元・9代開化、少し離れて22代清寧の諸天皇(『古事記』)にみえ、『記・紀』の編纂が最終段階に入った[[7世紀]]末から[[8世紀]]初めに存在した持統・文武・元明・元正の諸天皇(『日本書紀』・『続日本紀』)の称号にもみえる。このことは、7,8,9代の天皇の称号を、後世の『記・紀』編纂最終段階に存在した天皇の称号に似せて造作したとの疑いが濃厚である。{{要出典|date=2009年7月}}
 +
 
 +
いわゆる[[欠史八代]]の1人で、実在しない天皇と捉える見方が一般的であるが実在説もある。([[欠史八代]]の実在説を参照。)<!--{{要出典}}を貼ってから一週かが経過したので、ノートへ移動。-->
 +
 
 +
== 系譜 ==
 +
父は[[孝安天皇]]。母は、[[天足彦国押人命]](あまたらしひこくにおしひとのみこと)の女・[[押媛]](おしひめ、『[[古事記]]』に忍鹿比売)。
 +
 
 +
* [[皇后]]:[[細媛命]](くわしひめのみこと、ほそひめのみこと。磯城県主大目の女)
 +
** 第一[[皇子]]:大日本根子彦国牽尊(おおやまとねこひこくにくるのみこと、[[孝元天皇]])
 +
* [[妃]]:春日之千千速真若比売(かすがのちちはやまわかひめ、春日千乳早山香媛)
 +
** [[皇女]]:[[千千速比売命]](ちちはやひめのみこと。『古事記』のみ)
 +
* 妃:倭国香媛(やまとのくにかひめ、&#32089;某姉、意富夜麻登玖邇阿礼比売命。和知都美命の女)
 +
** 皇女:[[倭迹迹日百襲媛命]](やまとととびももそひめのみこと) [[箸墓古墳]]に葬られたという。[[邪馬台国]]を治めたとされる[[卑弥呼]]に比定する説もある。
 +
** 皇子:日子刺肩別命(ひこさしかたわけのみこと。『[[古事記]]』のみ)
 +
** 皇子:[[彦五十狭芹彦命]](ひこいさせりひこのみこと、[[吉備津彦命]])
 +
** 皇女:[[倭迹迹稚屋姫命]](やまとととわかやひめのみこと、倭飛羽矢若屋比売)
 +
* 妃:&#32089;某弟(はえいろど、&#32089;某姉の妹)
 +
** 皇子:[[彦狭島命]](ひこさしまのみこと、日子寤間命)
 +
** 皇子:[[稚武彦命]](わかたけひこのみこと) [[吉備氏]]の祖。
 +
皇子の彦五十狭芹彦命(吉備津彦命)と稚武彦命の兄弟は共に伝説上の[[桃太郎]]のモデルであるといわれている(一般に彦五十狭芹彦命の方が有名である)。
 +
 
 +
== 皇居 ==
 +
都は[[庵戸宮|黒田庵戸宮(廬戸宮)]](くろだのいおとのみや。[[奈良県]][[磯城郡]][[田原本町]]黒田の[[法楽寺 (田原本町)|法楽寺]]が伝承地)。
 +
 
 +
== 事績 ==
 +
特に記録されていない。孝安天皇76年([[紀元前317年]])正月に立太子。同102年([[紀元前291年]])に孝安天皇が崩御すると、都を黒田に遷して、翌年正月に即位した。在位76年で没する。『古事記』に106歳、『日本書紀』に128歳とする。ただし、この長すぎる在位や高い年齢については半年を一年と数える半年暦や先代天皇との親子合算方式の在位年数を考慮すべきとの説もある。
 +
 
 +
== 陵墓 ==
 +
片丘馬坂陵(かたおかうまさかのみささぎ、[[奈良県]][[北葛城郡]][[王寺町]]本町三丁目)。『古事記』には「片岡馬坂上」とある。
 +
 
 +
== 在位年と西暦との対照表 ==
 +
<div class="NavFrame" style="clear: both; border: 1px solid #999; margin: 0.5em auto;">
 +
<div class="NavHead" style="background-color: #CCCCFF; font-size: 90%; border-left: 3em soli; text-align: center; font-weight: bold;">在位と西暦との対照表
 +
</div>
 +
<div class="NavContent" style="padding: 1em 0 0 0; font-size: 90%; text-align: center;">
 +
 
 +
{| class="wikitable" style="text-align:center;"
 +
|-
 +
!孝霊天皇!!元年!!2年!!3年!!4年!!5年!!6年!!7年!!8年!!9年!!10年
 +
|-
 +
|西暦||[[紀元前290年|BC290年]]||[[紀元前289年|BC289年]]||[[紀元前288年|BC288年]]||[[紀元前287年|BC287年]]||[[紀元前286年|BC286年]]||[[紀元前285年|BC285年]]||[[紀元前284年|BC284年]]||[[紀元前283年|BC283年]]||[[紀元前282年|BC282年]]||[[紀元前281年|BC281年]]
 +
|-
 +
|[[皇紀]]||371年||372年||373年||374年||375年||376年||377年||378年||379年||380年
 +
|-
 +
|[[干支]]||[[辛未]]||[[壬申]]||[[癸酉]]||[[甲戌]]||[[乙亥]]||[[丙子]]||[[丁丑]]||[[戊寅]]||[[己卯]]||[[庚辰]]
 +
|-
 +
!孝霊天皇!!11年!!12年!!13年!!14年!!15年!!16年!!17年!!18年!!19年!!20年
 +
|-
 +
|西暦||[[紀元前280年|BC280年]]||[[紀元前279年|BC279年]]||[[紀元前278年|BC278年]]||[[紀元前277年|BC277年]]||[[紀元前276年|BC276年]]||[[紀元前275年|BC275年]]||[[紀元前274年|BC274年]]||[[紀元前273年|BC273年]]||[[紀元前272年|BC272年]]||[[紀元前271年|BC271年]]
 +
|-
 +
|[[皇紀]]||381年||382年||383年||384年||385年||386年||387年||388年||389年||390年
 +
|-
 +
|[[干支]]||[[辛巳]]||[[壬午]]||[[癸未]]||[[甲申]]||[[乙酉]]||[[丙戌]]||[[丁亥]]||[[戊子]]||[[己丑]]||[[庚寅]]
 +
|-
 +
!孝霊天皇!!21年!!22年!!23年!!24年!!25年!!26年!!27年!!28年!!29年!!30年
 +
|-
 +
|西暦||[[紀元前270年|BC270年]]||[[紀元前269年|BC269年]]||[[紀元前268年|BC268年]]||[[紀元前267年|BC267年]]||[[紀元前266年|BC266年]]||[[紀元前265年|BC265年]]||[[紀元前264年|BC264年]]||[[紀元前263年|BC263年]]||[[紀元前262年|BC262年]]||[[紀元前261年|BC261年]]
 +
|-
 +
|[[皇紀]]||391年||392年||393年||394年||395年||396年||397年||398年||399年||400年
 +
|-
 +
|[[干支]]||[[辛卯]]||[[壬辰]]||[[癸巳]]||[[甲午]]||[[乙未]]||[[丙申]]||[[丁酉]]||[[戊戌]]||[[己亥]]||[[庚子]]
 +
|-
 +
!孝霊天皇!!31年!!32年!!33年!!34年!!35年!!36年!!37年!!38年!!39年!!40年
 +
|-
 +
|西暦||[[紀元前260年|BC260年]]||[[紀元前259年|BC259年]]||[[紀元前258年|BC258年]]||[[紀元前257年|BC257年]]||[[紀元前256年|BC256年]]||[[紀元前255年|BC255年]]||[[紀元前254年|BC254年]]||[[紀元前253年|BC253年]]||[[紀元前252年|BC252年]]||[[紀元前251年|BC251年]]
 +
|-
 +
|[[皇紀]]||401年||402年||403年||404年||405年||406年||407年||408年||409年||410年
 +
|-
 +
|[[干支]]||[[辛丑]]||[[壬寅]]||[[癸卯]]||[[甲辰]]||[[乙巳]]||[[丙午]]||[[丁未]]||[[戊申]]||[[己酉]]||[[庚戌]]
 +
|-
 +
!孝霊天皇!!41年!!42年!!43年!!44年!!45年!!46年!!47年!!48年!!49年!!50年
 +
|-
 +
|西暦||[[紀元前250年|BC250年]]||[[紀元前249年|BC249年]]||[[紀元前248年|BC248年]]||[[紀元前247年|BC247年]]||[[紀元前246年|BC246年]]||[[紀元前245年|BC245年]]||[[紀元前244年|BC244年]]||[[紀元前243年|BC243年]]||[[紀元前242年|BC242年]]||[[紀元前241年|BC241年]]
 +
|-
 +
|[[皇紀]]||411年||412年||413年||414年||415年||416年||417年||418年||419年||420年
 +
|-
 +
|[[干支]]||[[辛亥]]||[[壬子]]||[[癸丑]]||[[甲寅]]||[[乙卯]]||[[丙辰]]||[[丁巳]]||[[戊午]]||[[己未]]||[[庚申]]
 +
|-
 +
!孝霊天皇!!51年!!52年!!53年!!54年!!55年!!56年!!57年!!58年!!59年!!60年
 +
|-
 +
|西暦||[[紀元前240年|BC240年]]||[[紀元前239年|BC239年]]||[[紀元前238年|BC238年]]||[[紀元前237年|BC237年]]||[[紀元前236年|BC236年]]||[[紀元前235年|BC235年]]||[[紀元前234年|BC234年]]||[[紀元前233年|BC233年]]||[[紀元前232年|BC232年]]||[[紀元前231年|BC231年]]
 +
|-
 +
|[[皇紀]]||421年||422年||423年||424年||425年||426年||427年||428年||429年||430年
 +
|-
 +
|[[干支]]||[[辛酉]]||[[壬戌]]||[[癸亥]]||[[甲子]]||[[乙丑]]||[[丙寅]]||[[丁卯]]||[[戊辰]]||[[己巳]]||[[庚午]]
 +
|-
 +
!孝霊天皇!!61年!!62年!!63年!!64年!!65年!!66年!!67年!!68年!!69年!!70年
 +
|-
 +
|西暦||[[紀元前230年|BC230年]]||[[紀元前229年|BC229年]]||[[紀元前228年|BC228年]]||[[紀元前227年|BC227年]]||[[紀元前226年|BC226年]]||[[紀元前225年|BC225年]]||[[紀元前224年|BC224年]]||[[紀元前223年|BC223年]]||[[紀元前222年|BC222年]]||[[紀元前221年|BC221年]]
 +
|-
 +
|[[皇紀]]||431年||432年||433年||434年||435年||436年||437年||438年||439年||440年
 +
|-
 +
|[[干支]]||[[辛未]]||[[壬申]]||[[癸酉]]||[[甲戌]]||[[乙亥]]||[[丙子]]||[[丁丑]]||[[戊寅]]||[[己卯]]||[[庚辰]]
 +
|-
 +
!孝霊天皇!!71年!!72年!!73年!!74年!!75年!!76年
 +
|-
 +
|西暦||[[紀元前220年|BC220年]]||[[紀元前219年|BC219年]]||[[紀元前218年|BC218年]]||[[紀元前217年|BC217年]]||[[紀元前216年|BC216年]]||[[紀元前215年|BC215年]]
 +
|-
 +
|[[皇紀]]||441年||442年||443年||444年||445年||446年
 +
|-
 +
|[[干支]]||[[辛巳]]||[[壬午]]||[[癸未]]||[[甲申]]||[[乙酉]]||[[丙戌]]
 +
|}</div></div>
 +
 
 +
== 関連項目 ==
 +
*[[天皇の一覧]]
 +
*[[欠史八代]]
 +
*[[庵戸宮]]
 +
*[[吉備津彦命]]
 +
*[[倭迹迹日百襲媛命]]
 +
*[[海東諸国記]]
 +
 
 +
{{歴代天皇一覧}}
 +
{{wikipedia/Ja}}
 +
{{DEFAULTSORT:こうれいてんのう}}
 +
[[Category:日本の天皇]]
 +
[[Category:紀元前342年生]]
 +
[[Category:紀元前215年没]]
 +
 
 +
[[ar:الإمبراطور كوريه]]
 +
[[ca:Kōrei]]
 +
[[de:Kōrei]]
 +
[[en:Emperor Kōrei]]
 +
[[es:Emperador Kōrei]]
 +
[[fr:Kōrei]]
 +
[[he:קוריי, קיסר יפן]]
 +
[[it:Kōrei]]
 +
[[ko:고레이 천황]]
 +
[[nl:Korei]]
 +
[[pl:Kōrei]]
 +
[[pt:Imperador Korei]]
 +
[[sh:Car Kōrei]]
 +
[[simple:Emperor Kōrei]]
 +
[[tl:Emperador Kōrei]]
 +
[[uk:Імператор Корей]]
 +
[[vi:Thiên hoàng Kōrei]]
 +
[[zh:孝靈天皇]]
 +
[[zh-min-nan:Kôrei Thian-hông]]

2012年3月1日 (木) 10:02時点における版

この項目には一部のコンピュータや一部の閲覧ソフトで表示できない文字が含まれています。

孝霊天皇(こうれいてんのう、孝安天皇51年(紀元前342年)- 孝霊天皇76年2月8日紀元前215年3月27日))は、『古事記』『日本書紀』に記される第7代天皇(在位:孝霊天皇元年1月12日紀元前290年2月19日) - 同76年2月8日紀元前215年3月27日))。大日本根子彦太瓊尊(おおやまとねこひこふとにのみこと)・大倭根子日子賦斗邇命(『古事記』)。

「ヤマトネコ」という称号は7代孝霊・8代孝元・9代開化、少し離れて22代清寧の諸天皇(『古事記』)にみえ、『記・紀』の編纂が最終段階に入った7世紀末から8世紀初めに存在した持統・文武・元明・元正の諸天皇(『日本書紀』・『続日本紀』)の称号にもみえる。このことは、7,8,9代の天皇の称号を、後世の『記・紀』編纂最終段階に存在した天皇の称号に似せて造作したとの疑いが濃厚である。要出典

いわゆる欠史八代の1人で、実在しない天皇と捉える見方が一般的であるが実在説もある。(欠史八代の実在説を参照。)

系譜

父は孝安天皇。母は、天足彦国押人命(あまたらしひこくにおしひとのみこと)の女・押媛(おしひめ、『古事記』に忍鹿比売)。

  • 皇后細媛命(くわしひめのみこと、ほそひめのみこと。磯城県主大目の女)
    • 第一皇子:大日本根子彦国牽尊(おおやまとねこひこくにくるのみこと、孝元天皇
  • :春日之千千速真若比売(かすがのちちはやまわかひめ、春日千乳早山香媛)
  • 妃:倭国香媛(やまとのくにかひめ、絙某姉、意富夜麻登玖邇阿礼比売命。和知都美命の女)
  • 妃:絙某弟(はえいろど、絙某姉の妹)

皇子の彦五十狭芹彦命(吉備津彦命)と稚武彦命の兄弟は共に伝説上の桃太郎のモデルであるといわれている(一般に彦五十狭芹彦命の方が有名である)。

皇居

都は黒田庵戸宮(廬戸宮)(くろだのいおとのみや。奈良県磯城郡田原本町黒田の法楽寺が伝承地)。

事績

特に記録されていない。孝安天皇76年(紀元前317年)正月に立太子。同102年(紀元前291年)に孝安天皇が崩御すると、都を黒田に遷して、翌年正月に即位した。在位76年で没する。『古事記』に106歳、『日本書紀』に128歳とする。ただし、この長すぎる在位や高い年齢については半年を一年と数える半年暦や先代天皇との親子合算方式の在位年数を考慮すべきとの説もある。

陵墓

片丘馬坂陵(かたおかうまさかのみささぎ、奈良県北葛城郡王寺町本町三丁目)。『古事記』には「片岡馬坂上」とある。

在位年と西暦との対照表

関連項目

Imperial Seal of Japan.svg 日本帝國皇帝 Imperial Seal of Japan.svg
1 神武 2 綏靖 3 安寧 4 懿德 5 孝昭 6 孝安 7 孝霊 8 孝元 9 開化 10 崇神
11 垂仁 12 景行 13 成務 14 仲哀 15 應神 16 仁德 17 履中 18 反正 19 允恭 20 安康
21 雄略 22 清寧 23 顕宗 24 仁賢 25 武烈 26 継体 27 安閑 28 宣化 29 欽明 30 敏達
31 用明 32 崇峻 33 推古 34 舒明 35 皇極 36 孝德 37 斉明 38 天智 39 大友 40 天武
41 持統 42 文武 43 元明 44 元正 45 聖武 46 孝謙 47 淳仁 48 稱德 49 光仁 50 桓武
51 平城 52 嵯峨 53 淳和 54 仁明 55 文德 56 清和 57 陽成 58 光孝 59 宇多 60 醍醐
61 朱雀 62 村上 63 冷泉 64 圓融 65 花山 66 一條 67 三條 68 後一條 69 後朱雀 70 後冷泉
71 後三條 72 白河 73 堀河 74 鳥羽 75 崇德 76 近衛 77 後白河 78 二條 79 六條 80 高倉
81 安德 82 後鳥羽 83 土御門 84 順德 85 九條 86 後堀河 87 四條 88 後嵯峨 89 後深草 90 亀山
91 後宇多 92 伏見 93 後伏見 94 後二條 95 花園 96 光嚴 97 光明 98 崇光 99 後光嚴 100 後圓融
101 後小松 102 稱光 103 後花園 104 後土御門 105 後柏原 106 後奈良 107 正親町 108 後陽成 109 後水尾 110 明正
111 後光明 112 後西院 113 霊元 114 東山 115 中御門 116 櫻町 117 桃園 118 後櫻町 119 後桃園 120 光格
121 仁孝 122 孝明 123 明治 124 大正 125 昭和 126 平成 赤字女帝斜字重祚
Wikipedia-logo.svg このページはウィキペディア日本語版のコンテンツ・孝霊天皇を利用して作成されています。変更履歴はこちらです。
ar:الإمبراطور كوريه

ca:Kōrei de:Kōreies:Emperador Kōrei fr:Kōrei he:קוריי, קיסר יפן it:Kōrei ko:고레이 천황 nl:Korei pl:Kōrei pt:Imperador Korei sh:Car Kōrei simple:Emperor Kōrei tl:Emperador Kōrei uk:Імператор Корей vi:Thiên hoàng Kōrei zh:孝靈天皇 zh-min-nan:Kôrei Thian-hông