「偏向報道」の版間の差分

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[[マスメディア|マスコミ]]の偏向報道を主張した人物は、[[日本]]では[[佐藤栄作]]が嚆矢とされる。退陣表明会見の際に「新聞は間違って伝えるから話したくない。」と新聞記者を退席させ、テレビ局のカメラに向かって会見したエピソードは有名である。
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[[ヨハネス・グーテンベルク]]の[[活版印刷]][[技術]]の[[発明]]以降、特に[[マスメディア|マスコミ]]が台頭してきた[[19世紀]]、この「[[世論]]誘導力」の大きさに驚き、注目したのは[[権力]]者達であった。そして自らの権力安泰を図るために[[法]]、すなわち[[表現]][[言論]]を統制するための法を制定あるいは強化し、権力者に都合のよい報道が各国で行われた。すなわち偏向報道の歴史はマスコミ台頭と同時にはじまっている。
  
マスコミを「第四の権力」と表現した[[田中角栄]]は、偏向報道をマスコミの武器として認識していたという。[[産経新聞]][[鹿内信隆]](当時社長)は[[1967年]][[7月]]の広告主向け説明会で「新聞が本当に不偏不党の立場でまかり通るような安泰なものに、今、日本の国内情勢が成っているでしょうか。」、「敢然と守ろう『自由』、警戒せよ、左翼的商業主義!」と演説したという。
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[[20世紀]]に入り[[電波]][[マスメディア]]用に実用化されると、時の権力者はこれを大いに利用した。有名なものとしては[[ナチス・ドイツ]]によるものがあり、世界初の[[テレビジョン]]放送開始はナチスの宣伝・世論誘導の目的を持った「国策」として達成されている。日本においても同じであり、[[検閲]]と一体化された[[ラジオ]]による「権力偏向報道」がなされた。
  
また[[1970年]][[9月]]には、産経拡販への協力を通じた支持を求める田中角栄(当時[[自由民主党幹事長|自民党幹事長]])の通達が、全国の[[自由民主党 (日本)|自民党]]支部連合会長、支部長宛に「取扱注意・親展」として送付され、国会で取り上げられたこともある。
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しかしその結果は悲惨なものとなり、[[第二次世界大戦]]終結後、これに懲りた国々では[[表現の自由]]を厳格に定めて「権力偏向報道」を撤廃、併せて「権力監視の役目」をマスコミに与えた。これ以降、これらの国々での偏向報道とは、それまでの「権力に都合のよいように恣意的に歪めた報道」あるいはその逆のみならず、「多面的考察を欠いた非中立的報道」あるいは「特定個人の思想などを正当化するため恣意的になされる報道」など複数の定義、考え方がされるようになった。
2003年11月に自民党執行部は「偏向報道がある」として、[[テレビ朝日]]への出演を拒否したことがある(『[[ニュースステーション]]』の放送内容などが理由とされる)。
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自己に不利な報道をされ、立場が悪化した人物や団体が、当該報道機関に対し「偏向報道を行っている」という反論をするケースも多い。また、自己の主義主張が報道されなかったり、逆に自己の主義主張とは価値観の異なる主張が報道されたことを偏向報道とされることもあり、「偏向報道」という言葉を用いた批判自体が、ある種の偏向性を含む可能性がある。例えば、[[選挙]]報道ではどの[[政党]][[政治団体]]からもしばしば偏向であると批判が上がるが、自民党など有力党派からの批判は広く報道されても、いわゆる[[泡沫候補]]からの批判は全く無視されることも珍しくない。実際に偏向報道で被害を受けているか否かを、周知の情報のみで判断するのは危険であるといえる。このように、偏向報道とそれへの批判はイデオロギーや権益等と結びつきやすく、その批判自体を多角的視点から見るべきである([[メディア・リテラシー]])。
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戦後の日本でマスコミの偏向報道をあからさまに主張した公人は、[[佐藤栄作]][[内閣総理大臣|総理大臣]]が最初とされる。[[1972年]][[6月]]の退陣表明記者会見で、「僕は国民に直接話したい。[[新聞]]になると(真意が)違うからね。偏向的な新聞は嫌いなんだ、大嫌いなんだ。(記者は)帰って下さい。」と新聞記者を退席させ、テレビ局のカメラに向かって会見を行ったエピソードは有名である。これは日本の場合、テレビ、すなわち放送が唯一、法的規制を受ける言論報道機関であり、放送法に、政治的に公平であること、事実をまげないことなどが詳細に規定され、また放送によって権利侵害を受けた人などから2週間以内に請求があり、調査の結果「誤った放送」をおこなったことが判明した場合には2日以内に訂正放送をおこなわなければならないことが、罰則とあわせて定められていることが理由であった。
  
[[トヨタ自動車]]元社長の[[奥田碩]]の発言のように、偏向報道を行うことによって、かえって報道活動に権力(政治や[[スポンサー]]、時には[[視聴者]]=大衆)から圧力が加わり、報道の自由が危機に瀕することもあり、報道機関では「公正・公平」を謳った倫理基準が制定されているところがほとんどである。一方、何を持って「偏向」なのか、「偏向報道」か「誤報」か、そもそも報道に「公正・公平」は存在するのか、という議論もあり、「偏向報道」そのものの定義付けは難しい。
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同じく元総理大臣の[[田中角栄]]は、マスコミを「第四の権力」と表現し、偏向報道をマスコミの武器として認識していたという。[[産経新聞]]の[[鹿内信隆]]は、[[社長]]だった[[1967年]][[7月]]当時の広告主向け説明会で「新聞が本当に不偏不党の立場でまかり通るような安泰なものに、今、日本の国内情勢が成っているでしょうか。」「敢然と守ろう『自由』、警戒せよ、[[左翼]]商業主義!」と演説した。また、[[1970年]][[9月]]には、産経拡販への協力を通じた支持を求める田中(当時は[[自由民主党幹事長|自民党幹事長]])の通達が、全国の[[自由民主党 (日本)|自民党]]支部連合会長、支部長宛に「取扱注意・親展」として送付され、[[国会 (日本)|国会]]で取り上げられたこともある。
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国によって違いはあるが、概ね、「政治的に公平であること」「事実をまげないこと」「できる限り多面的に検討すること」などが法規定されているのは、いわゆるテレビ、ラジオなどの「電波報道」のみである。これは有限である電波を媒体として利用すること、また速報性・同時性の高さから大衆への影響力が非常に強いというのが理由である。しかしもとより表現とは特定の目的をもってなされるものであるから、電波報道といえども完全な公平性の実現などは不可能、結果、せいぜい[[最大公約数]]的な内容までにしかならない。対して媒体無限の新聞、雑誌などに規制はなく、新聞のいうところの「不偏不党の立場」などは、あくまでも自主的なもの、各社の考え方の違いがストレートに表れがちである。同じ事象を扱う場合であっても、電波報道と新聞、雑誌などの報道内容に大きな違いが生じるのはこのためであり、この違いをもって大衆から、どちらかが偏向報道であると言われることもある。そしてこれは大衆のみならず、例えば放送局と新聞社間でもあることで、放送局は特定の新聞社の社説を電波にのせることができない、これに対して新聞社が抗議する、最悪は法闘争にまで発展するといったこともある。
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[[2008年]][[11月]]、[[トヨタ自動車]][[相談役]]の[[奥田碩]]は、[[年金]]問題に関するマスコミの報道について、「個人的な意見だが、本当に腹が立っている。」「あれだけ[[厚生労働省]]を叩くのは、ちょっと異常な話。」と不快感を示し、続けて、「なんか[[報復]]でもしてやろうかな。例えば[[スポンサー]]にならないとかね。」と広告の引き上げを示唆した。([[報道におけるタブー]]も参照されたい。)
  
 
== 偏向報道とされる主な例 ==
 
== 偏向報道とされる主な例 ==

2013年1月2日 (水) 15:02時点における版

偏向報道(へんこうほうどう)とは、ある特定の事象について複数の意見が対立する状況下で、特定の立場からの主張を否定もしくは肯定する意図をもって、直接・間接的な情報操作が行われる報道である。政治経済裁判事件芸能等、対象は幅広い。様々なメディアの中で、特に現代において最も影響力が強いとされるテレビの報道姿勢が問題視されることが多くなった。

概要

思想が表れている表紙

概要

ヨハネス・グーテンベルク活版印刷技術発明以降、特にマスコミが台頭してきた19世紀、この「世論誘導力」の大きさに驚き、注目したのは権力者達であった。そして自らの権力安泰を図るために、すなわち表現言論を統制するための法を制定あるいは強化し、権力者に都合のよい報道が各国で行われた。すなわち偏向報道の歴史はマスコミ台頭と同時にはじまっている。

20世紀に入り電波マスメディア用に実用化されると、時の権力者はこれを大いに利用した。有名なものとしてはナチス・ドイツによるものがあり、世界初のテレビジョン放送開始はナチスの宣伝・世論誘導の目的を持った「国策」として達成されている。日本においても同じであり、検閲と一体化されたラジオによる「権力偏向報道」がなされた。

しかしその結果は悲惨なものとなり、第二次世界大戦終結後、これに懲りた国々では表現の自由を厳格に定めて「権力偏向報道」を撤廃、併せて「権力監視の役目」をマスコミに与えた。これ以降、これらの国々での偏向報道とは、それまでの「権力に都合のよいように恣意的に歪めた報道」あるいはその逆のみならず、「多面的考察を欠いた非中立的報道」あるいは「特定個人の思想などを正当化するため恣意的になされる報道」など複数の定義、考え方がされるようになった。

戦後の日本でマスコミの偏向報道をあからさまに主張した公人は、佐藤栄作総理大臣が最初とされる。1972年6月の退陣表明記者会見で、「僕は国民に直接話したい。新聞になると(真意が)違うからね。偏向的な新聞は嫌いなんだ、大嫌いなんだ。(記者は)帰って下さい。」と新聞記者を退席させ、テレビ局のカメラに向かって会見を行ったエピソードは有名である。これは日本の場合、テレビ、すなわち放送が唯一、法的規制を受ける言論報道機関であり、放送法に、政治的に公平であること、事実をまげないことなどが詳細に規定され、また放送によって権利侵害を受けた人などから2週間以内に請求があり、調査の結果「誤った放送」をおこなったことが判明した場合には2日以内に訂正放送をおこなわなければならないことが、罰則とあわせて定められていることが理由であった。

同じく元総理大臣の田中角栄は、マスコミを「第四の権力」と表現し、偏向報道をマスコミの武器として認識していたという。産経新聞鹿内信隆は、社長だった1967年7月当時の広告主向け説明会で「新聞が本当に不偏不党の立場でまかり通るような安泰なものに、今、日本の国内情勢が成っているでしょうか。」「敢然と守ろう『自由』、警戒せよ、左翼商業主義!」と演説した。また、1970年9月には、産経拡販への協力を通じた支持を求める田中(当時は自民党幹事長)の通達が、全国の自民党支部連合会長、支部長宛に「取扱注意・親展」として送付され、国会で取り上げられたこともある。

国によって違いはあるが、概ね、「政治的に公平であること」「事実をまげないこと」「できる限り多面的に検討すること」などが法規定されているのは、いわゆるテレビ、ラジオなどの「電波報道」のみである。これは有限である電波を媒体として利用すること、また速報性・同時性の高さから大衆への影響力が非常に強いというのが理由である。しかしもとより表現とは特定の目的をもってなされるものであるから、電波報道といえども完全な公平性の実現などは不可能、結果、せいぜい最大公約数的な内容までにしかならない。対して媒体無限の新聞、雑誌などに規制はなく、新聞のいうところの「不偏不党の立場」などは、あくまでも自主的なもの、各社の考え方の違いがストレートに表れがちである。同じ事象を扱う場合であっても、電波報道と新聞、雑誌などの報道内容に大きな違いが生じるのはこのためであり、この違いをもって大衆から、どちらかが偏向報道であると言われることもある。そしてこれは大衆のみならず、例えば放送局と新聞社間でもあることで、放送局は特定の新聞社の社説を電波にのせることができない、これに対して新聞社が抗議する、最悪は法闘争にまで発展するといったこともある。

2008年11月トヨタ自動車相談役奥田碩は、年金問題に関するマスコミの報道について、「個人的な意見だが、本当に腹が立っている。」「あれだけ厚生労働省を叩くのは、ちょっと異常な話。」と不快感を示し、続けて、「なんか報復でもしてやろうかな。例えばスポンサーにならないとかね。」と広告の引き上げを示唆した。(報道におけるタブーも参照されたい。)

偏向報道とされる主な例

  1. 1989年に発生した東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の容疑者逮捕をきっかけに、マスコミのおたくバッシングが発生したが、このときに「男性のおたく」しか例示しなかった。この頃からバブル経済を反映して元気な女性が増えたことも重なり、マスコミは女性を持ち上げる一方、男性を必要以上に貶める(中には少子化は男性が悪いという一方的な報道もあった[1])ような報道が目立ったとされる。21世紀に入り、おたくを題材にした邦画・ドラマをきっかけにおたく関連の番組や特集が増え、中川翔子宇多田ヒカルなどの女性芸能人がテレビで堂々とおたくであることを公言したり、一般にも「腐女子」と呼ばれる女性のおたくも増えてきている。しかしながら、凶悪事件が起きると、当該事件を想起させられるようなアニメ・漫画がバッシングの対象となる場合も依然としてある[2]
  2. 1993年総選挙の際には、テレビ朝日の報道番組が新生党や(共産党を除いた)野党を勝たせる為の報道をした「椿事件」が起こり、当時の同局報道局長が証人喚問をされる事態にまでなった[3]。この頃まではNHK以外の民間放送の各局は野党(非自民)寄りの報道をする傾向にあったが、自民党からの働きかけもあり、日本テレビフジテレビでは親会社である新聞社(読売新聞社産経新聞社)の論調・編集方針が右派保守主義な事もあり、自民党寄りの報道をするようになった。
  3. 三菱自動車工業によるリコール隠し(三菱リコール隠し三菱ふそうリコール隠し)に対するメディアの対応。特に車両火災事故については全国で毎年6,000~8,000台発生し、1日平均20台以上は事故に遭遇しているにも関わらず、三菱車の車両火災にのみ特定した報道が行われた。
  4. 2001年5月15日、当時の長野県知事田中康夫による、「脱・記者クラブ宣言」に地元の有力紙・信濃毎日新聞(信毎)が猛反発し、これ以後一貫して田中知事の施策・政策を批判する報道が行われ続けた。
  5. 2003年11月2日TBSの情報番組『サンデーモーニング』で石原慎太郎東京都知事の「私は日韓合併の歴史を100%正当化するつもりはない」という発言が、テロップでは「100%正当化するつもりだ」と表示されて報道された[4]
  6. 2007年参議院議員選挙の際、政策論争よりも、安倍晋三首相やその内閣のバッシングに終始する週刊誌やタブロイド紙の報道が相次ぎ、見出しに「安倍不人気」「安倍惨敗必至」という文字が続いた。特に朝日新聞は2007年の参議院選挙前、連日のように「安倍首相 支持率低下」を紙面に踊らせていた。
  7. 産経新聞は憲法が保障する自由権(殊に言論・出版・思想・良心・結社の自由)が暴力などにより脅かされる事件が起きても、人命に関わる事態に発展しない限り社説「主張」で取り上げる事はない。これは他紙には見られない際立った編集方針である[5]えひめ丸事件では、アメリカ政府・アメリカ海軍を弁護擁護する主張を繰り返した。日教組大会拒否問題を「主張」で取り上げたのは他紙の5日後であり、記者が組合員にバッシングされた事まで記述していた。
  8. バブル崩壊後の長期不況に伴い、有効求人倍率が著しく低下した社会状況の中で、若者が正規雇用にあり付けず、フリーターと呼ばれる非正規雇用の状態や失業・無業(ニート)の状態に置かれることを余儀なくされているにも関わらず、社会環境の問題としてでは無く、「努力をしない(または足りない)からだ」との自己責任論や「フリーターやニートになりたがる若者が増えている」「若者がひ弱になった」などの批判的報道が新聞・TVなどで繰り返しなされた結果、モラル・パニックを引き起こし、フリーター・ニート叩きが社会全体で加速した(→俗流若者論も参照)。また、マスコミが常に取り上げるのは、前述したような若者批判を展開する論者(学者・評論家)や、これを鵜呑みにした不勉強な芸能人の発言ばかりで、こうした言説に疑問を呈する者たち[6]からの反論を取り上げる事は殆ど無かった。
  9. 日本経済新聞とその傘下にあるテレビ東京では、企業側・経営側(概ね大企業)の意向を汲んだ報道姿勢が際立っており、親米保守系の読売新聞産経新聞よりも強く新自由主義市場原理主義を支持している。例えば、日本経団連などの経済三団体が「提言」と称して時の政府与党であった自民党と公明党に要求し続けていた消費税率の引き上げ、ホワイトカラーエグゼンプションの導入、労働者派遣法の更なる規制緩和などは、実現すればいずれも労働者側にとっては不利益になるため、他紙・他局では問題点を指摘する報道もあった。しかし、テレビ東京のニュース番組や経済番組では、「国際競争力が低下する」との財界の意向を汲んで賛成の立場を示し、問題点を検証する報道を一切行っていないばかりか、反論に対しては、ゲストコメンテーターはおろかアナウンサーまでもが「時代遅れ」と切り捨てる様子が見受けられる[7]
  10. 日本テレビはプロ野球を報道する際、同じ読売グループ読売ジャイアンツの情報を長く放送し、他球団の情報は短い。
  11. 在京キー局で平日夕方に放送されている報道・ワイドショー番組の特集コーナー(関東ローカル枠での放送)では、関東向けであるにも拘わらず、大阪を中心とした関西圏・名古屋を中心とした中京圏といった他の地方の悪質マナー問題ばかりを取り上げ、「○○(取り上げた地域名)は東京に比べてマナーが悪い」という印象報道を行なっている[8]

2012年自民圧勝後のマスコミの反応

小選挙区制がうっぷん晴らしの装置になっているようでもあり悩ましい。ますますその場しのぎの国民受けに流れないか心配になる。
戦前の反省をふまえた、戦後日本の歩みを転換する。そうした見方が近隣国に広がれば、国益は損なわれよう。
とりわけ、安倍氏ら自民党が自衛隊を「国防軍」に改称する9条改憲や、尖閣諸島への公務員常駐の検討など保守色の強い路線に傾斜していることは気がかりだ。海外にも日本に偏狭なナショナリズムが広がることを警戒する声がある。冷静に外交を立て直さねば孤立化の道すら歩みかねない。
有権者は白紙委任したわけではない。慢心にはしっぺ返しが待っている。
安倍自民党は勝利におごらず、野党の主張に耳を傾けて丁寧な国会運営に努め、地に足のついた政権運営を心掛ける必要がある。集団的自衛権の行使容認など、党の主張は一時棚上げすべきではないか。政治を機能させるための忍耐は、恥ずべきことではない。
今回、迷って1票を投じた有権者は自民に全権を委ねたわけではない。巨大与党の勇ましい決断は危うい。安倍総裁は自民党の公約が全面的に支持されたと受け止めるべきではない。
大勝した自民党の安倍晋三総裁は、そこをかみしめる必要があるだろう。改憲や外交・防衛政策での強硬姿勢は特に気になる。首相として失敗した過去もある。
国全体に堪える力が乏しくなり、選挙がうっぷん晴らしの場になっているのではないかと危惧する。
自民党が掲げた看板は「日本を、取り戻す」。経済や教育、外交、安心を取り戻すというが、それがなぜ「日本を」となるのだろう。
右翼の躍進は日本社会の右傾化の産物でもある。民主党政権発足に対する反作用でインターネットは「ネット右翼」と呼ばれる極右勢力に掌握された。

米元高官「米で『安倍首相で日本が右傾化』と言ってたのは、同氏を憎む朝日新聞の手法を輸入した人やメディア」

「安倍政権誕生となると、北京の論客たちはあらゆる機会をとらえて『日本はいまや右傾化する危険な国家だ』と非難し続けるでしょう。しかし『右傾化』というのが防衛費を増し、米国とのより有効な防衛協力の障害となる集団的自衛権禁止のような旧態の規制を排することを意味するのなら、私たちは大賛成です」

ブッシュ前政権の国家安全保障会議でアジア上級部長を務めたマイケル・グリーン氏が淡々と語った。日本の衆院選の5日ほど前、ワシントンの大手研究機関、ヘリテージ財団が開いた日韓両国の選挙を評価する討論会だった。日本については自民党の勝利が確実ということで安倍政権の再登場が前提となっていた。

CIAの長年の朝鮮半島アナリストを経て、現在は同財団の北東アジア専門の上級研究員であるブルース・クリングナー氏も、「右傾」の虚構を指摘するのだった。

「日本が右に動くとすれば、長年の徹底した消極平和主義、安全保障への無関心や不関与という極端な左の立場を離れ、真ん中へ向かおうとしているだけです。中国の攻撃的な行動への日本の毅然とした対応は米側としてなんの心配もありません」

確かに「右傾」というのはいかがわしい用語である。正確な定義は不明なまま、軍国主義や民族主義、独裁志向をにじませる情緒的なレッテル言葉だともいえよう。そもそも右とか左とは政治イデオロギーでの右翼や左翼を指し、共産主義や社会主義が左の、反共や保守独裁が右の極とされてきた。

日本や米国の一部、そして中国からいま自民党の安倍晋三総裁にぶつけられる「右傾」という言葉は、まず国の防衛の強化や軍事力の効用の認知に対してだといえよう。だがちょっと待て、である。現在の世界で軍事力増強に持てる資源の最大限を注ぐ国は中国、そして北朝鮮だからだ。この両国とも共産主義を掲げる最左翼の独裁国家である。だから軍事増強は実は「左傾化」だろう。

まして日本がいかに防衛努力を強めても核兵器や長距離ミサイルを多数、配備する中国とは次元が異なる。この点、グリーン氏はフィリピン外相が最近、中国の軍拡への抑止として日本が消極平和主義憲法を捨てて、「再軍備」を進めてほしいと言明したことを指摘して語った。

「日本がアジア全体への軍事的脅威になるという中国の主張は他のアジア諸国では誰も信じないでしょう。東南アジア諸国はむしろ日本の軍事力増強を望んでいます」同氏は米国側にも言葉を向ける。

「私はオバマ政権2期目の対日政策担当者が新しくなり、韓国の一部の声などに影響され、安倍政権に対し『右傾』への警告などを送ることを恐れています。それは大きなミスとなります。まず日本の対米信頼を崩します」

グリーン氏は前の安倍政権時代の米側の動きをも論評した。「米側ではいわゆる慰安婦問題を機に左派のエリートやニューヨーク・タイムズ、ロサンゼルス・タイムズが安倍氏を『危険な右翼』としてたたきました。安倍氏の政府間レベルでの戦略的な貢献を認識せずに、でした。その『安倍たたき』は日本側で同氏をとにかく憎む朝日新聞の手法を一部、輸入した形でした。今後はその繰り返しは避けたいです」

不当なレッテルに惑わされず、安倍政権の真価を日米同盟強化に資するべきだという主張だろう。

報道の信頼性の低下とメディアの多様化

偏向報道による世論操作は、政治や経済や倫理に影響を与えかねず、実際に社会を変容させたり、国民に対してマスコミ主導のミスリードを招いている例(戦時下のなどの自主規制とそれに続く言論統制など)がある[9]

また、既存メディアに限らず、インターネット上においてもイデオロギーに影響された情報や信憑性に疑問符が付く情報を鵜呑みにし、影響されてしまう現状が考えられており、メディア・リテラシー教育の必要性が叫ばれる一つの理由となっている。

脚注

  1. 朝日新聞1990年6月7日付天声人語。同新聞1992年7月19日付記事。TBS朝のホットライン』等多数。また日本経済新聞少子化は男性の責任と間接的に批判する報道はしばしば見られる。
  2. 京田辺警察官殺害事件の影響による、『School Days』と『ひぐらしのなく頃に解』の放送自粛など。
  3. 田原総一朗#朝まで生テレビ!/サンデープロジェクトも参照。
  4. 詳しくはサンデーモーニング#テロップ「捏造」疑惑を参照。
  5. ただし、メディア規制三法には反対の立場である。
  6. 雨宮処凛本田由紀内藤朝雄後藤和智など。
  7. テレビ東京#日本経済新聞の支配も参照。
  8. 寺谷一紀#東京一極集中への反発も参照。
  9. 記者クラブおよび報道も参照。

関連項目