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'''両国駅'''(りょうごくえき)は、[[東京都]][[墨田区]][[横網]](よこあみ)一丁目にある、[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)・[[東京都交通局]]([[都営地下鉄]])の[[鉄道駅|駅]]。
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<nowiki>'''両国駅'''(りょうごくえき)は、[[東京都]][[墨田区]][[横網]](よこあみ)一丁目にある、[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)・[[東京都交通局]]([[都営地下鉄]])の[[鉄道駅|駅]]。
  
 
== 乗り入れ路線 ==
 
== 乗り入れ路線 ==

2020年1月8日 (水) 04:21時点における版

'''両国駅'''(りょうごくえき)は、[[東京都]][[墨田区]][[横網]](よこあみ)一丁目にある、[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)・[[東京都交通局]]([[都営地下鉄]])の[[鉄道駅|駅]]。 == 乗り入れ路線 == JR東日本の[[総武本線]]支線、東京都交通局の[[都営地下鉄大江戸線]]が乗り入れ、接続駅となっている。しかし、一番近い出口同士でも500メートル以上離れているため、乗換に適しているとは言い難い(JR線と大江戸線の乗換では[[浜松町駅]]と[[大門駅 (東京都)|大門駅]]、[[御徒町駅]]と[[上野御徒町駅]]の方が便利である)。 JR東日本総武本線の駅は、定期列車は[[急行線|緩行線]]を走る[[中央・総武緩行線|中央・総武線各駅停車]]のみが停車する。この他、[[千葉駅|千葉]]方面の[[急行線|快速線]]に接続している列車ホーム([[#JR東日本|後述]])が存在するが、現在は臨時列車のみに使用される。また、[[特定都区市内]]制度における「[[特定都区市内#設定区域一覧|東京都区内]]」に属する。 なお、都営大江戸線の駅には「'''E 12'''」の[[駅ナンバリング|駅番号]]が付与されている。 == 歴史 == 当駅は、千葉県方面への鉄道を建設した私鉄であった[[総武鉄道]]が1904年4月5日に「両国橋駅」として開業させた。総武鉄道は[[市川駅]]より東側の区間を先に開業させており、そこから西へ東京へ向かって順次建設を進めてきた。そして、本所駅(後の錦糸町駅)から両国橋駅までの区間が都心側で最後に開業した。この当時、本所から両国橋までの沿線はすでに市街地になっており、高架線とすることを条件に免許が出された。会社側は建設費のかかる高架線を避けようと、地上の線路に変更しようとする工作をしたが、結局煉瓦造りの橋脚の上に鉄桁を載せた形状の高架橋を約1.5 kmに渡って建設して開業することになった。これは日本の鉄道で最初の高架区間であった。当初は単線で開業したが、最初から橋脚は複線用に準備されており、1906年8月19日に複線化された。この高架橋の関係で、[[列車便所|垂れ流し式のトイレ]]からの汚物が沿線に被害を及ぼすことを避けるために、本所より西側ではトイレの使用が禁止されていた。 総武鉄道の力では隅田川を渡る橋を建設することが難しかったこともあり、両国橋駅は総武鉄道の都心側のターミナルとして機能するようになった。当初の駅舎建物は駅の西側に建てられており、木造2階建てで面積170坪(約562平方メートル)、建設費は約9,000円であった。また、脇に同じく木造2階建ての総武鉄道本社も建てられていた。プラットホームは全長212 mあり、その先の東側にも地下道を通じて亀沢町方面への出口が造られていた。隅田川からの[[運河]]が構内に掘られ、水運との連絡が行われるようになっていた。貨物営業は1904年9月1日に開始された。 また、吾妻橋駅(現在の[[とうきょうスカイツリー駅]])をターミナルとしていた[[東武鉄道]]も[[東武亀戸線|亀戸線]]を建設して総武鉄道に乗り入れるようになり、両国橋駅は開業と同時に房総方面だけではなく北関東方面へのターミナルとしても機能するようになった。このために吾妻橋駅は一時廃止されるが、1907年9月1日に総武鉄道が国有化されて国鉄となったこともあり、1910年3月1日に吾妻橋駅を浅草駅に改称して旅客営業が再開され、3月27日に両国橋駅への東武鉄道の列車の乗り入れが廃止された。ただし、貨物列車については、1926年7月1日に[[小岩駅]]と[[金町駅]]を結ぶ[[新金貨物線]]が開通するまで、東武亀戸線を経由して[[北千住駅]]で常磐線と連絡する運転が継続された。 1923年9月1日、[[関東大震災]]が発生した。駅舎は倒壊しなかったが、延焼により焼失した。高架橋も大きな被害を受けて、復旧して運転を再開したのは10月9日のこととなった。バラック立ての仮駅舎を建設して暫定的に営業を行っていたが、増大する旅客・貨物需要を捌ききれなくなったため、1929年12月30日に新駅舎が営業を開始した。これは2012年現在供用されている駅舎である。この時点で行き止まり式の2面4線の構造となった。駅舎の面積は3,034坪(約10,030平方メートル)であった。当時は乗車口と降車口が分離されており、外から駅舎に向かって左側に乗車口、右側に降車口があった。内部には出札口、2等待合室、3等待合室、手荷物カウンターなどが設置されていた。 元々隅田川の両岸を両国と称し、そこに架かる橋を両国橋と呼んでいたことから、橋の近くにある駅を両国橋と名付けたものであったが、次第に隅田川東岸のことを両国と称するようになった。駅名もまた、一般には単に両国駅と呼ばれることが多くなっていた。そこで、1931年10月1日に正式に「両国駅」へ改称した。 この頃、房総方面にあった全部で94の駅の中では、東京側のターミナルであった両国駅は乗降客数と収入の面ではぬきんでた1位であり、貨物取扱量も第2位であった。東京の鉄道駅の中では東京、上野、新宿、横浜、新橋に次ぐ第6位の取扱収入で、当時は渋谷や池袋などよりも収入の大きな駅であった。しかし、両国駅より西側の総武本線の建設が行われると、このターミナルとしての繁栄は次第に凋落していくことになった。 関東大震災で焼失した市街地の区画整理が行われたことで線路用地の捻出が可能となり、1932年7月1日に御茶ノ水までの線路が完成し、総武本線の起点が御茶ノ水に変更された。これにより両国は孤立したターミナルの状態を脱することになった。御茶ノ水と両国の間は電化されて電車が折り返し運転を行うようになり、房総方面への列車の乗換駅となった。これに合わせて、現在も使用されている1・2番線のプラットホームが整備された。地下道で従来の列車用ホームとの連絡がなされ、また電車用のプラットホームへ直接出入りできる改札口が高架下に設けられた。当初は両国より東側はまだ電化されていなかったので、房総方面へは両国駅での乗換を必要としていたが、それでも乗り換えだけの乗客は改札口を通過しないため両国駅の乗降客数や収入は大きく減じることになった。さらに電化が東へ進展して1935年7月1日に千葉駅まで完成すると、房総方面の列車が同駅で折り返すものが増え、次第に両国駅の列車ホームで発着する列車は減少していくことになった。特に第二次世界大戦後の石炭不足による蒸気機関車牽引列車の減少と房総方面が気動車化の重点線区とされたことで、当駅を始発・終着とする房総方面の列車は2往復まで減少することになった。 しかし外房線・内房線とも千葉から先はまだ非電化であり、1958年7月10日から[[気動車]]準急「犬吠」の運転が開始され、その始発・終着駅となった。さらに房総方面の準急・急行は増発され、一部総武緩行線経由で新宿方面へ乗り入れる列車もあったものの、多くの優等列車は当駅始発・終着とされた。これにより再び房総方面へのターミナル駅としての地位が高まることになった。特に毎年夏には房総への海水浴客を輸送するための臨時列車が多数設定されて両国駅の列車ホ-ムは賑わった。後に列車ホームは電化された。 次の大きな転機となったのは、1972年7月15日の総武本線複々線化である。東京駅から錦糸町駅までの地下線で[[総武快速線]]が建設され、総武線の快速列車が東京駅へ直通するようになった。[[国鉄183系電車|183系]]の特急がこの時より完成した東京地下駅から総武線、内房線、外房線に乗り入れを開始する。この線路は当駅構内の北側を通過してはいるが、地下から地上へ出てくるところにあり、また急カーブでもあることから、当駅にホームは設けられなかった。これにより総武快速線の列車は当駅に停まらなくなった。貨物営業も近隣の[[越中島貨物駅|越中島駅]]などへ集約されることになり、物流拠点としての役目を終えた。この時点ではまだ房総方面への急行列車の一部など両国駅発着で残存していた<ref>急行列車に使われる車両は[[国鉄165系電車|165系急行用電車]]などの非ATC搭載車だったため、当時保安装置が[[自動列車制御装置|ATC]]だった総武快速線地下区間(東京方面)に入線することができなかった。</ref>が、[[1982年11月15日国鉄ダイヤ改正|1982年11月15日のダイヤ改正]]により房総方面の急行列車は全廃され、特急「[[しおさい (列車)|しおさい]]」[[あやめ (列車)|「あやめ」「すいごう」]]が1日1往復だけ当駅に発着する状態となった。1988年3月13日のダイヤ改正でこれらの発着も終了し、当駅は総武線各駅停車のみが停車する駅となって、現在に至っている。 一方、東京で進んでいた地下鉄網整備の中で、両国地域を通る路線は長く開業していなかったが<ref>隣駅の浅草橋駅には1960年に[[都営地下鉄浅草線]](当時は都営1号線)が開業したが、城東地区の南北交通整備は優先度が下げられていた。</ref>、2000年に都営大江戸線の駅が開業し、両国から地下鉄の利用が可能となった。 === 年表 === * [[1904年]]([[明治]]37年) ** [[4月5日]] - 総武鉄道のターミナル駅として開業。当時は'''両国橋駅'''(りょうごくばしえき)と称す。また、東武鉄道の列車も亀戸線経由で当駅に乗り入れ、東京側のターミナルとした。 ** [[9月1日]] - 貨物営業開始。 * [[1906年]](明治39年)[[8月19日]] - 本所までの区間が複線化。 * [[1907年]](明治40年)9月1日 - 総武鉄道の[[鉄道国有法]]に基づく国有化で、国有鉄道の駅となる。 * [[1910年]](明治43年)[[3月27日]] - 東武鉄道の浅草駅(現在のとうきょうスカイツリー駅)の営業再開により、東武鉄道の列車の乗り入れを廃止。 * [[1923年]]([[大正]]12年) ** 9月1日 - 関東大震災で被災、駅舎焼失。 ** [[10月9日]] - 震災の被害を復旧し、運転を再開。 * [[1929年]]([[昭和]]4年)[[12月30日]] - 新駅舎使用開始。 * [[1931年]](昭和6年)[[10月1日]] - '''両国駅'''に改称。 * [[1932年]](昭和7年)[[7月1日]] - 御茶ノ水駅までの[[電車線・列車線|電車線]]開業。 * [[1958年]](昭和33年)[[7月10日]] - 準急「犬吠」運転開始。 * [[1969年]](昭和44年) ** [[8月20日]] - 蒸気機関車の最終運転。これを最後に東京都から蒸気機関車による列車が全廃。 ** 10月1日 - 貨物配達取扱を廃止。 * [[1970年]](昭和45年)7月1日 - 貨物営業廃止。 * [[1972年]](昭和47年)[[7月15日]] - [[総武本線]]複々線化および[[東京駅|東京]] - [[錦糸町駅|錦糸町]]間開業により[[総武快速線]]の運転開始。 * [[1982年]](昭和57年)[[11月15日]] - この日のダイヤ改正により房総方面の急行が全廃され、当駅列車ホームを発車する列車が激減する。特急「[[しおさい (列車)|しおさい]]」[[あやめ (列車)|「あやめ」「すいごう」]]の各1往復が設定される。 * [[1987年]](昭和62年)[[4月1日]] - [[国鉄分割民営化]]に伴い、JR東日本の駅となる。 * [[1988年]](昭和63年)[[3月13日]] - [[特別急行列車|特急]]「あやめ」「すいごう」の乗り入れ終了。これにより、定期旅客列車では総武線各駅停車のみが停車する駅となる。 * [[1998年]]([[平成]]10年) - 「[[関東の駅百選]]」に選定される。選定理由は「鉄筋2階建ての駅舎で相撲とともに歩んだ下町の代表となる駅」。 * [[2000年]](平成12年)[[12月12日]] - 都営大江戸線の駅が開業。 * [[2001年]](平成13年)[[11月18日]] - JR東日本でICカード[[Suica]]供用開始。 * [[2007年]](平成19年)[[3月18日]] - 東京都交通局でICカード[[PASMO]]供用開始。 * [[2008年]](平成20年)[[11月29日]] - 列車ホーム(3番線)の改修完了による使用開始。 * [[2010年]](平成22年)[[3月12日]] - この日をもって新聞輸送列車の乗り入れ終了。3番線ホームの定期列車の発着がなくなる。 === 駅名の由来 === 元来、両国とは[[両国橋]]を挟んだ[[隅田川]]の両岸を指す地名であった(隅田川西岸は<small>旧</small>日本橋両国<!--・現東日本橋。その証拠に平成12年12月まで都営バス・草28系統(神田駅 - 葛西橋)の「両国」停留所が川の対岸にあった-->)<!--、「両国」の名前自体が「下総」と「武蔵」の2つの国から生まれた地名であったため、対岸である「武蔵」地域)も含まれているのは当然の話であった-->。しかし、総武鉄道は当初隅田川の東岸までの開通に留まったため、両国橋の東、東両国に両国橋駅を開業し、後に両国駅と改称した。駅名の影響に両国国技館の開設も加わり、現在では両国という地名は専ら両国橋の東の地域に対して用いられる。地名についての詳細は[[両国 (墨田区)]]を参照のこと。 == 駅構造 == JRの駅は東西に出入口があり(階段の位置はホームの両端ではなくやや中央寄り)、駅舎は高架下にある。ホーム横には[[ターミナル駅]]の面影を残す駅舎とホームが残されている。現在は、この旧駅舎コンコースを利用し、[[居酒屋]]チェーン「[[チムニー (居酒屋)|はなの舞]]」の独自業態「大江戸八百八町・花の舞」が営業しており、店内に設えられた[[土俵]]が名物となっている。<ref>なお駅舎の2階は「はなの舞」を営業するチムニーの本社が入居している。</ref> 都営大江戸線の駅はJR駅の東側を通る[[清澄通り]]([[東京都道463号上野月島線]])の地下に建設され、出口も同通りの両側に設置されている。JR総武線と都営大江戸線の乗り換えはJR駅の東口から乗り換えるが、駅間がかなり離れている。 近くに[[大相撲]]興行などが開催される[[両国国技館]]があるため、西口改札を入ってすぐの所には[[タイル]]の色が違う所があり、これはよく見ると[[土俵]]の形になっている<ref>「鉄道ファン」1991年8月号141ページより。</ref> 。 === JR東日本 === 総武線各駅停車用の[[プラットホーム#形状と配置|島式ホーム]]1面2線の電車ホームと、[[プラットホーム#形状と配置|単式ホーム]]1面1線の列車ホームを有する[[高架駅]]である。電車ホームから一段低い高さに列車ホームがある。 ==== のりば ==== <!-- 2012年12月時点での現地のLED電照式案内標の表記に合わせた(これが最新のものである) ---> {| class="wikitable" !番線<!-- 事業者側による呼称 --->!!路線!!行先 |- ! 1 | {{Color|#ffd400|■}}総武線(各駅停車) | [[浅草橋駅|浅草橋]]・[[秋葉原駅|秋葉原]]・[[新宿駅|新宿]]方面 |- ! 2 | {{Color|#ffd400|■}}総武線(各駅停車) |[[錦糸町駅|錦糸町]]・[[市川駅|市川]]・[[千葉駅|千葉]]方面 |- ! 3 | colspan="2" | {{Color|navy|■}}団体・臨時ホーム(総武快速線と接続) |- |} 1番線の案内の一部には、物理的に直通していない[[東京駅]]・[[上野駅]]の表記があるが、両駅へ行く場合は[[秋葉原駅|秋葉原]]での乗り換えが必要となる。また、その旨の案内はされていない。 当駅北側には、[[総武快速線#作戦開始|総武快速線・総武トンネル]]の入口がある。 列車ホームは、総武快速線[[東京駅]](総武トンネル)開業前、長らく総武本線、[[成田線|成田]]・[[鹿島線]]、[[内房線|内房]]・[[外房線]]などへの中・長距離列車の発着ホームで東京都心の[[ターミナル駅]]の一つとして機能していた。JR発足当初は5番線まであり、[[特別急行列車|特急]]「[[あやめ (列車)|あやめ]]」「[[あやめ (列車)|すいごう]]」の発着もあったが、現在では定期旅客列車の発着がなくなっている。現在では3番線のみとなり、まれに臨時列車が使用するのみとなっている。総武快速線の団体列車がここで折り返すことも多かったが、東京トンネルの入線制限が緩和されたためにほとんどの列車が東京駅まで直通できるようになり、使用頻度は大きく減少した。なお、新宿方面から総武線千葉方面に乗り入れる特急などはすべて当駅の電車ホームを通過する。なお、3番線ホームは[[2008年]]秋の観光キャンペーン「ぐるっと ゆめ半島ちば」を機に全面リニューアルされ、同年[[11月29日]]発の「快速 ぐるっと ゆめ半島1号」より使用が開始された<ref>{{PDFlink|[http://www.jrchiba.jp/news/pdf/20081110ryougoku.pdf 『両国駅臨時列車用ホームをリニューアルします!』] - JR東日本千葉支社 2008年11月10日}}</ref>。3番線ホームへは西口からしか入れず、また通常は閉鎖されている。また、旧4・5番線は現在は保線基地となっていて、架線が撤去され列車が入線することができなくなった。 [[2010年]][[3月12日]]までは、旅客以外の定期列車として内房・外房両沿線の[[新聞販売店]]や主要駅の[[キヨスク]]向けに[[夕刊]]を発送する[[荷物列車#新聞輸送列車|新聞輸送列車]]が一日1本、3番線ホームから発車していた<ref>[http://www.chibanippo.co.jp/news/world/economy_kiji.php?i=nesp1265674859 『新聞専用列車、3月で幕 経費削減「時代の流れ」』] - [[千葉日報]]、2010年2月9日</ref><ref>[http://railf.jp/news/2010/03/14/015600.html 『両国からの新聞輸送列車が廃止に』] - [[交友社]]『[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]]』・railf.jp 2010年[[3月14日]]</ref>。 2008年[[9月2日]]に[[発車メロディ]]とスピーカーが変更された。発車メロディは現在当駅のみで使用されている。 西口には、[[バリアフリー]]施設として[[エスカレーター]]や[[エレベーター]]などを併設している。 === 東京都交通局 === 島式ホーム1面2線を有する[[地下駅]]である。「江戸東京博物館前」の駅名併称が付けられている。 ==== のりば ==== <!-- 2012年2月時点での現地の案内標の表記に準拠 ---> {| class="wikitable" !番線<!-- 事業者側による呼称 --->!!路線!!行先 |- ! 1 | [[ファイル:Subway TokyoOedo.png|15px|E]] 都営大江戸線 |[[飯田橋駅|飯田橋]]・[[新宿西口駅|新宿西口]]・[[都庁前駅|都庁前]]方面 |- ! 2 | [[ファイル:Subway TokyoOedo.png|15px|E]] 都営大江戸線 | [[門前仲町駅|門前仲町]]・[[大門駅 (東京都)|大門]]・[[六本木駅|六本木]]方面 |} == 利用状況 == * '''JR東日本''' - 2013年度の一日平均乗車人員は'''37,996人'''である。 * '''都営地下鉄''' - 2012年度の一日平均乗降人員は'''27,812人'''(乗車人員 13,957人、降車人員 13,855人)であった<ref>[http://www.kotsu.metro.tokyo.jp/subway/kanren/passengers.html 東京都交通局 各駅乗降人員一覧]</ref>。 ** 開業前は一日あたり約5,000人の乗車人員が見込まれていたが、当初から予想を上回っており、2007年度には13,000人を越えた。 各年度の一日平均乗降・乗車人員は下表のとおりである。 <!--東京都統計年鑑を出典にしている数値については、元データが1,000人単位で掲載されているため、*1000/365(or366)で計算してあります--> {| class="wikitable" style="text-align:right;" |- !rowspan="2"| 年度 !colspan="1"| JR東日本 !colspan="2"| 都営地下鉄 !rowspan="2"| 出典 |- ! 乗車人員 !! 乗降人員<ref>[http://www.train-media.net/report/ 関東交通広告協議会レポート]</ref> !! 乗車人員 |- |1992年(平成{{0}}4年) |43,721 |style="text-align:center;"|- |style="text-align:center;"|- |<ref name="toukei1992">[http://www.toukei.metro.tokyo.jp/tnenkan/1992/TOBB510P.HTM 東京都統計年鑑(平成4年)]</ref> |- |1993年(平成{{0}}5年) |47,441 |style="text-align:center;"|- |style="text-align:center;"|- |<ref name="toukei1993">[http://www.toukei.metro.tokyo.jp/tnenkan/1993/TOBB510Q.HTM 東京都統計年鑑(平成5年)]</ref> |- |1994年(平成{{0}}6年) |44,649 |style="text-align:center;"|- |style="text-align:center;"|- |<ref name="toukei1994">[http://www.toukei.metro.tokyo.jp/tnenkan/1994/TOBB510R.HTM 東京都統計年鑑(平成6年)]</ref> |- |1995年(平成{{0}}7年) |43,639 |style="text-align:center;"|- |style="text-align:center;"|- |<ref name="toukei1995">[http://www.toukei.metro.tokyo.jp/tnenkan/1995/TOBB510S.HTM 東京都統計年鑑(平成7年)]</ref> |- |1996年(平成{{0}}8年) |43,386 |style="text-align:center;"|- |style="text-align:center;"|- |<ref name="toukei1996">[http://www.toukei.metro.tokyo.jp/tnenkan/1996/TOBB510T.HTM 東京都統計年鑑(平成8年)]</ref> |- |1997年(平成{{0}}9年) |42,041 |style="text-align:center;"|- |style="text-align:center;"|- |<ref name="toukei1997">[http://www.toukei.metro.tokyo.jp/tnenkan/1997/TOBB510U.HTM 東京都統計年鑑(平成9年)]</ref> |- |1998年(平成10年) |41,619 |style="text-align:center;"|- |style="text-align:center;"|- |<ref name="toukei1998">[http://www.toukei.metro.tokyo.jp/tnenkan/1998/TOBB510J.PDF 東京都統計年鑑(平成10年)]</ref> |- |1999年(平成11年) |[http://www.jreast.co.jp/passenger/1999.html] 40,977 |style="text-align:center;"|- |style="text-align:center;"|- |<ref name="toukei1999">[http://www.toukei.metro.tokyo.jp/tnenkan/1999/TOBB510K.PDF 東京都統計年鑑(平成11年)]</ref> |- |2000年(平成12年) |[http://www.jreast.co.jp/passenger/2000.html] 40,892 | |7,518 |<ref name="toukei2000">[http://www.toukei.metro.tokyo.jp/tnenkan/2000/00qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成12年)]</ref> |- |2001年(平成13年) |[http://www.jreast.co.jp/passenger/2001_01.html] 39,106 | |9,403 |<ref name="toukei2001">[http://www.toukei.metro.tokyo.jp/tnenkan/2001/01qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成13年)]</ref> |- |2002年(平成14年) |[http://www.jreast.co.jp/passenger/2002_01.html] 39,078 | |10,438 |<ref name="toukei2002">[http://www.toukei.metro.tokyo.jp/tnenkan/2002/tn02qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成14年)]</ref> |- |2003年(平成15年) |[http://www.jreast.co.jp/passenger/2003_01.html] 38,826 |20,722 |10,667 |<ref name="toukei2003">[http://www.toukei.metro.tokyo.jp/tnenkan/2003/tn03qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成15年)]</ref> |- |2004年(平成16年) |[http://www.jreast.co.jp/passenger/2004_01.html] 38,548 |21,250 |10,909 |<ref name="toukei2004">[http://www.toukei.metro.tokyo.jp/tnenkan/2004/tn04qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成16年)]</ref> |- |2005年(平成17年) |[http://www.jreast.co.jp/passenger/2005_01.html] 38,047 |22,097 |11,288 |<ref name="toukei2005">[http://www.toukei.metro.tokyo.jp/tnenkan/2005/tn05qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成17年)]</ref> |- |2006年(平成18年) |[http://www.jreast.co.jp/passenger/2006_01.html] 39,406 |24,020 |12,254 |<ref name="toukei2006">[http://www.toukei.metro.tokyo.jp/tnenkan/2006/tn06qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成18年)]</ref> |- |2007年(平成19年) |[http://www.jreast.co.jp/passenger/2007_01.html] 39,811 |25,894 |13,106 |<ref name="toukei2007">[http://www.toukei.metro.tokyo.jp/tnenkan/2007/tn07qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成19年)]</ref> |- |2008年(平成20年) |[http://www.jreast.co.jp/passenger/2008_01.html] 39,969 |27,059 |13,538 |<ref name="toukei2008">[http://www.toukei.metro.tokyo.jp/tnenkan/2008/tn08qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成20年)]</ref> |- |2009年(平成21年) |[http://www.jreast.co.jp/passenger/2009_01.html] 39,371 |26,788 |13,488 |<ref name="toukei2009">[http://www.toukei.metro.tokyo.jp/tnenkan/2009/tn09q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成21年)]</ref> |- |2010年(平成22年) |[http://www.jreast.co.jp/passenger/2010_01.html] 38,733 |27,318 |13,735 |<ref name="toukei2010">[http://www.toukei.metro.tokyo.jp/tnenkan/2010/tn10q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成22年)]</ref> |- |2011年(平成23年) |[http://www.jreast.co.jp/passenger/2011_01.html] 37,926 |26,616 |13,384 |<ref name="toukei2011">[http://www.toukei.metro.tokyo.jp/tnenkan/2011/tn11q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成23年)]</ref> |- |2012年(平成24年) |[http://www.jreast.co.jp/passenger/2012_01.html] 37,961 |27,812 |13,957 | |2013年 (平成25年) |[http://www.jreast.co.jp/passenger/2013_01.html] 37,996 | | | |} == 駅周辺 == [[大相撲]]の興業施設である[[両国国技館]](上の写真の緑の屋根の建物)が駅の近くにあるほか、[[江戸時代]]には勧進相撲が執り行われた[[回向院|両国回向院]]が駅の南側にあり、相撲部屋や力士サイズの服を取り扱う洋品店などがあるなど[[相撲]]の街として全国に知られている。[[1909年]]竣工の旧・両国国技館<ref>戦後に[[連合国軍最高司令官総司令部]](GHQ)が接収し、その後は[[1982年]]まで[[日本大学]]講堂として使用されたが、翌[[1983年]]に解体された。</ref>は回向院の境内にあったが、第二次大戦後の[[蔵前国技館]]使用期を挟んで、[[1985年]]に竣工した現・両国国技館は駅の北側に位置している。 駅北側には、国技館に隣接して[[東京都江戸東京博物館]]がある(同博物館はJR駅より都営地下鉄駅の方が近い)。かつては貨物駅があり、総武快速線建設に伴い貨物駅が閉鎖された後には[[国鉄バス]]の東京自動車営業所(後の[[ジェイアールバス関東東京支店]])があったが、現在は[[江東区]][[塩浜 (江東区)|塩浜]]に移転し、その跡地に両国国技館が建設されている。 国技館の北隣には[[旧安田庭園]]がある。同施設のある一角には[[両国公会堂]]があるが、老朽化が激しく倒壊の恐れがあるため、現在は利用を休止して改修しているが、現在でも外観を見ることができる。これらの施設の西側には[[隅田川]]が流れ、川岸に[[首都高速6号向島線]]の高架が建設されている。同高速はほぼ南北に伸び、JR駅の西側で総武線の上を通る。 旧安田庭園の東側、江戸東京博物館の北側には[[2004年]]に[[NTTドコモ墨田ビル]]という超高層ビルが竣工した。ここには「[[NTTドコモ歴史展示スクエア]]」というショールームがあり、予約制だが過去の[[NTTドコモ]]などの携帯電話端末などを一堂に見ることができる。 旧安田庭園の北東側、NTTドコモ墨田ビルの北側、清澄通りと蔵前橋通りに面した角の一角には都立[[横網町公園]]がある。ここには[[関東大震災]]で多数の犠牲者を出した[[陸軍]]本所[[被服廠]]跡地で(因みに震災当時は既に「跡地」であった)、都立公園の中でも慰霊を目的とした特異な存在である。敷地内には震災犠牲者や[[東京大空襲]]犠牲者などを祀る[[東京都慰霊堂]]や震災復興記念館、東京空襲犠牲者追悼碑などが建てられており、毎年[[3月10日]](東京大空襲忌日)と[[9月1日]](関東大震災忌日)には慰霊法要が営まれる。この横網町公園へはJR駅より都営地下鉄の駅の方が近い。 JR東口から南に向かって[[京葉道路]]([[国道14号]])を越え、さらに南に少々入った辺りに[[本所松坂町公園]]([[吉良義央|吉良上野介]]の屋敷跡・[[忠臣蔵]]の討ち入りの舞台)がある。さらにその近くの両国公園には「[[勝海舟]]生誕の地」碑がある他、附近には江戸から[[明治]]期の著名人の足跡([[芥川龍之介]]生育の地など)が数多くある。また、駅南東側一帯は[[池波正太郎]]の小説「[[鬼平犯科帳]]」の主要な舞台になったことでも知られている。 JR西口から南側に向かうと、京葉道路との交点(両国二丁目交差点)の南側に再開発地域の複合ビル「両国シティコア」があり、内部に劇場「[[シアターΧ]]」(シアターカイ)が運営されている。旧・両国国技館はここに位置していた。シティコアの南側に両国回向院があり、そこからさらに南に進むと堀割と[[首都高速7号小松川線]]の高架橋が東西方向へ伸びる。同高速は隅田川岸に作られた[[両国ジャンクション]]で6号向島線から分離しているが、当駅近辺には両路線とも出入口は設置されていない。 === バス路線 === 最寄りの停留所は、JR西口、ザ・ホテルベルグランデ前付近の「'''両国駅前'''」、京葉道路沿いの「'''両国駅入口'''」、都営大江戸線の駅近辺、清澄通り上の「'''都営両国駅前'''」の3箇所であり、[[都営バス]]と[[京成バス]]、セグラスツーリズムエージェンシーによって運行されている。都営バスの詳細は[[都営バス江東営業所|江東営業所]]・[[都営バス臨海支所|臨海支所]]・[[都営バス青戸支所|青戸支所]]の記事を参照のこと。 JR両国駅にバスが乗り入れたのは平23乙系統の頃からである。その後、門33系統の両国駅行や錦27系統の短縮、墨38系統の新設などによって様々な系統が乗り入れて来るようになる。しかし、ターミナルとしては中途半端であったことも影響して、平23乙系統は上37系統と経路交換した上で当駅には来なくなり、また、門33系統には両国駅前折り返し便が設定され、草28系統も[[神田駅 (東京都)|神田駅]]まで運行していたが、いずれも都営大江戸線の開業により廃止された。 一方、「都営両国駅前」停留所は都営大江戸線の開業に伴って改称されたものであり、同線の駅が開業する前までは「横網一丁目」、さらに[[墨田区役所]]が横網一丁目(現在の国際ファッションセンタービル一帯)から現在地に移転するまでは「墨田区役所前」を名乗っていた。また、移動も頻繁に行われており、「横網一丁目」時代の停留所の位置は亀戸駅方面が国際ファッションセンター前(現在郵便ポストがある場所)、豊海水産埠頭前方面はそのほぼ向かい(たい焼き屋の斜め前)と、現在の場所よりもかなり北方にあった。 なお、「両国駅前」停留所はJRの駅よりさらに西にあるため、同停留所に発着し京葉道路を経由する両28・錦27両系統の[[錦糸町駅]]方面行へ都営大江戸線から乗り換える場合、「両国駅前」よりもA5出口から左に歩いて交差点を左折したところにある「緑一丁目」停留所が最寄りとなる。 [[2008年]][[4月26日]]から[[2012年]][[3月19日]]までは、[[都営バス#観光路線バス「東京→夢の下町」|観光路線バス「東京→夢の下町」(S-1系統)]]が乗り入れていた。 ==== 両国駅前 ==== * 1番乗り場 ** [[都営バス江戸川営業所#錦27系統|錦27]] - [[小岩駅]]前行 ** [[都営バス臨海支所#両28系統|両28]] - 葛西橋・[[都営バス臨海支所|臨海車庫]]行 * 2番乗り場 ** [[都営バス青戸支所#墨38系統|墨38]] - [[東京都リハビリテーション病院]]前行 *番号なし **パンダバス 両国ライン - 浅草ROX前行 ====両国駅入口==== * 錦27 - 小岩駅前行 * 両28 - 葛西橋・臨海車庫行 * 墨38 - 東京都リハビリテーション病院前行 ==== 都営両国駅前 ==== * 墨38 - 両国駅前/東京都リハビリテーション病院行 * [[都営バス江東営業所#門33系統|門33]] - 豊海水産埠頭/[[亀戸駅]]前行 * 錦27・両28 - 両国駅前行 * 墨田区内循環バス「[[京成バス奥戸営業所#すみだ百景 すみまるくん・すみりんちゃん|すみだ百景 すみまるくん・すみりんちゃん]]」南部ルート - 弥勒寺前・墨田区役所方面 === 水上バス === * [http://www.tokyo-park.or.jp/waterbus/course/port/ryogoku.html 両国発着場] ** [[東京水辺ライン]] == その他 == 当駅周辺には国技館や相撲部屋等、相撲関連の施設が多いためか、駅の所在地名を「よこ'''づな'''(横'''綱''')」と誤解しやすいが、正しくは「よこ'''あみ'''(横'''網''')」である。 == 隣の駅 == ; 東日本旅客鉄道 : {{Color|#ffd400|■}}総武線(各駅停車) :: [[錦糸町駅]] - '''両国駅''' - [[浅草橋駅]] ; 東京都交通局 : [[ファイル:Subway TokyoOedo.png|15px|E]] 都営大江戸線 :: [[蔵前駅]] (E 11) - '''両国駅 (E 12)''' - [[森下駅 (東京都)|森下駅]] (E 13) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == * [[日本の鉄道駅一覧]] * [[両国 (墨田区)|両国]] == 外部リンク == {{commonscat|Ryōgoku Station}} * [http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=1691 JR東日本 両国駅] * [http://www.kotsu.metro.tokyo.jp/subway/stations/ryogoku/e12.html 東京都交通局 両国駅] {{DEFAULTSORT:りようこく}} [[Category:日本の鉄道駅 り|ようこく]] [[Category:東日本旅客鉄道の鉄道駅]] [[Category:日本国有鉄道の鉄道駅]] [[Category:中央・総武緩行線]] [[Category:東京都交通局の鉄道駅]] [[Category:墨田区の鉄道駅]] [[Category:両国|りようこくえき]] [[Category:昭和時代戦前の建築|りようこくえき]]