上杉昇

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2008年3月19日 (水) 17:09時点における221.35.18.126 (トーク)による版 (作詞提供作品)

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上杉 昇うえすぎ しょう、英語表記:Show Wesugi1972年5月24日 - )はミュージシャンボーカリスト神奈川県横須賀市出身。A型。中学校の先輩にはX JAPANhideがいる。在籍していたWANDSは本来、プロデューサーである長戸大幸がタロットカードのWANDS(棒)から命名したが、後付けで“W”という字は、英語の表記による『WESUGI』の頭文字の意味でもあるとされている。

人物

1990年代初頭から、音楽プロデューサービーイングのトップである長戸大幸の主宰するBEING音楽振興会に在籍。上杉は、この振興会の講師によって長戸に紹介され、長戸を介して既にアレンジャー・作曲家として活動していた大島康祐と同振興会主催のオーディション出身の柴崎浩と出会うことになり、WANDSを結成することになった。1991年から1996年まで、WANDSのボーカルとしてシングル11枚、オリジナルアルバム4枚をリリース。

1995年にリリースされたWANDSのアルバム「PIECE OF MY SOUL」以降は、NIRVANAなどロック・グランジ・オルタナティブという彼自身の志向する音楽性をダイレクトに表現するようになっていった。 しかし、従来のWANDSのデジタルポップ路線を望むビーイングとの間に方向性の食い違いが出始め、1996年にWANDSの活動を停止した。そして、自らの音楽を実現するために1997年初頭、WANDSを脱退した。

WANDS脱退後の1997年11月、WANDSで共に活動していた柴崎浩とともにal.ni.coを結成。 1998年3月、シングル「TOY$!」でデビューし、以降シングル計3枚・アルバム1枚をリリースした。

2001年、al.ni.coを解散した後は、自身のレーベルpojjo récordぽじょ・れこる)を設立し、ソロとしての活動を開始した。

al.ni.coの活動以降は、スタジオワーク的なビーイングとは一線を画し、作詞だけでなくほぼ全曲の作曲を手がけ、内省的な歌詞・ザラついたギターサウンドを追求し、よりライブ重視のサウンドへとを移っていった。

また、WANDS時代は長髪だったが、ソロ転向前後にスキンヘッドにするとともに、頭と腕にタトゥーを入れ、ビジュアル面でもWANDS時代とは一線を画している。

2006年、デビュー15周年を記念して初のカヴァーアルバム「SPOILS」をリリース。また宮沢昌宏らと猫騙を結成。

ディスコグラフィー

シングル

  • 飛んで散れ 2005/8/3
PATA(ex.X JAPAN)とのコラボレーションシングル第1弾。
  • poo pee people 2005/11/9
PATAとのコラボレーションシングル第2弾。
  • TOY$!(scrambled mix) 2006/10/25
al.ni.coの1stシングルをセルフカバー。

ミニアルバム

  • L.O.G 2004/11/3
じゃがたらのカバー「TANGO」を収録。

オリジナルアルバム

  • Blackout in the Galaxy 2006/2/8

カバーアルバム

デビュー15周年を記念したカバーアルバム。
WANDS、al.ni.coのセルフカバーをはじめ、GUNS N' ROSESNIRVANAJEFF BUCKLEY中島みゆき などのカバー曲を全11曲収録。

オムニバス

  • Royal Straight Soul III Vol.1 1992/7/22

M8.Hotel California(WANDS在籍時。イーグルスのカバー)

M13.それだけなのに…(川島だりあ featuring 上杉昇名義。WANDS在籍時の未発表曲)

作詞提供作品

レコーディング参加

共演した歌手

関連項目

外部リンク


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