「ギムリー・グライダー」の版間の差分

提供: Yourpedia
移動: 案内検索
(ページの作成:「'''ギムリー・グライダー''' ({{en|Gimli Glider}}) は、民間航空史上に残る有名な事故を起こした旅客機の通称である。 1983年[[...」)
 
(給油量の誤計算)
 
17行目: 17行目:
  
 
=== 給油量の誤計算 ===
 
=== 給油量の誤計算 ===
[[ボーイング767]]は通常「燃料搭載量情報システム (FQIS) 」を使って給油する。このシステムは、燃料ポンプの操作と燃料搭載量の状況をパイロットに提示するが、事故当時の143便のFQISは動作に異常をきたしていた(後に燃料タンク内の[[静電容量]]ゲージのハンダ付け不良によるものと判明)。この代替として、タンク内の燃料量は燃料計測棒 ({{en|dripstick}}) による直接測定を行わざるをえなかった。
+
[[ボーイング767]]は通常「燃料搭載量情報システム (FQIS) 」を使って給油する。このシステムは、燃料ポンプの操作と燃料搭載量の状況をパイロットに提示するが、事故当時の143便のFQISは動作に異常をきたしていた(後に燃料タンク内の[[静電容量]]ゲージのハンダ付け不良によるものと判明)。この代替として、タンク内の燃料量は燃料計測棒 (dripstick) による直接測定を行わざるをえなかった。
  
 
事故の直接の原因となる過失は[[モントリオール]]から[[エドモントン]]へのフライトに必要な給油量の計算時に起こった。ちょうど当時のエア・カナダでは[[ヤード・ポンド法]]から[[メートル法]]への移行の最中であったこと、そして事故機は同社でシステムにメートル法を用いる最初の機体であったことがこの背景にある。必要な燃料量を 2万2300 [[キログラム|kg]] と算出するまでは正しかったが、モントリオールでの燃料残量 7682 [[リットル|L]] を重量に換算する際に、リットルとキログラムによる比重 0.803 (kg/L) ではなく、誤ってリットルと[[ポンド (質量)|ポンド]]による比重 1.77 (lb/L) を使用してしまった。その結果、給油量は
 
事故の直接の原因となる過失は[[モントリオール]]から[[エドモントン]]へのフライトに必要な給油量の計算時に起こった。ちょうど当時のエア・カナダでは[[ヤード・ポンド法]]から[[メートル法]]への移行の最中であったこと、そして事故機は同社でシステムにメートル法を用いる最初の機体であったことがこの背景にある。必要な燃料量を 2万2300 [[キログラム|kg]] と算出するまでは正しかったが、モントリオールでの燃料残量 7682 [[リットル|L]] を重量に換算する際に、リットルとキログラムによる比重 0.803 (kg/L) ではなく、誤ってリットルと[[ポンド (質量)|ポンド]]による比重 1.77 (lb/L) を使用してしまった。その結果、給油量は

2014年12月12日 (金) 19:11時点における最新版

ギムリー・グライダー (Gimli Glider) は、民間航空史上に残る有名な事故を起こした旅客機の通称である。

1983年7月23日エア・カナダ143便(ボーイング767-200)はケベック州モントリオールからアルバータ州エドモントンへの飛行中に高度4万1000フィート(約1万2000m)で燃料切れを起こした。エンジン停止後はパイロットの操縦により滑空し、マニトバ州ギムリーにあった元カナダ空軍ギムリー基地滑走路(現:Gimli Industrial Park Airport)へ無事に着陸を果たした[1]

燃料量を監視する機器の故障やヤード・ポンド法メートル法の混用によるヒューマンエラーが事故の主因とされた。

事故の経緯[編集]

事故当日のエア・カナダ143便[編集]

給油量の誤計算[編集]

ボーイング767は通常「燃料搭載量情報システム (FQIS) 」を使って給油する。このシステムは、燃料ポンプの操作と燃料搭載量の状況をパイロットに提示するが、事故当時の143便のFQISは動作に異常をきたしていた(後に燃料タンク内の静電容量ゲージのハンダ付け不良によるものと判明)。この代替として、タンク内の燃料量は燃料計測棒 (dripstick) による直接測定を行わざるをえなかった。

事故の直接の原因となる過失はモントリオールからエドモントンへのフライトに必要な給油量の計算時に起こった。ちょうど当時のエア・カナダではヤード・ポンド法からメートル法への移行の最中であったこと、そして事故機は同社でシステムにメートル法を用いる最初の機体であったことがこの背景にある。必要な燃料量を 2万2300 kg と算出するまでは正しかったが、モントリオールでの燃料残量 7682 L を重量に換算する際に、リットルとキログラムによる比重 0.803 (kg/L) ではなく、誤ってリットルとポンドによる比重 1.77 (lb/L) を使用してしまった。その結果、給油量は

(2万2300 - 7682 × 1.77) / 1.77 = 4916

リットルとされたが、本来は

(2万2300 - 7682 × 0.803) / 0.803 = 2万0163

リットルが必要とされていた。

FQISが故障していたため、給油後に事故機の航法装置には燃料搭載量として2万2300が手動入力された。装置のファームウェアは前述のようにメートル法に基づく処理を行っていたため、燃料搭載量は 2万2300 kg と解釈されて目的地まで十分に足る量との出力を返した。しかし、実際には 1万2598 kg しか燃料を搭載しておらず、モントリオールからエドモントンへのフライトには到底足りなかった。

2名のパイロットと給油要員は装置の演算結果に疑問を抱き、3回ほど再計算を行ってはいた。しかし、同じ計算結果であったのでピアソン機長は応急的にモントリオールからの出発を指示し、それほど離れていない経由地であるオタワで燃料の再計測を行うこととした。しかし、燃料計測棒を用いた再測定でも誤った換算係数を用いて燃料残量を 2万0400 kg と見積もってしまい、燃料の致命的不足に気付くことなくオタワを発つこととなった。

燃料切れの発生[編集]

オンタリオ州レッドレーク上空を飛行中、操縦室の警報装置が4回警告音を発し、左側エンジンの燃料圧力に問題があることを示した。機長は燃料ポンプの故障と考え、これをオフにした。燃料タンクはエンジンよりも高い所にあるため、ポンプを用いずとも燃料供給は可能であった。コンピュータは依然として燃料は十分と表示していたが、もちろんこれは誤った入力に基づいた出力であった。まもなく2回目の燃料圧力警告が鳴ったため、機長はウィニペグへ目的地外着陸(ダイバート)することを決断した。その数秒後に左側エンジンが停止し、右側エンジンのみでの着陸を準備することとなった。

パイロットはエンジンの再スタートを試み、ウィニペグの管制官と緊急着陸について連絡を取っていたが、その最中に警報装置が「ボーン」という今まで誰も聞いた事のない長い警告音を発した。これは全エンジンの停止を示しており、この様な事態は訓練では想定されていなかった。警報から数秒後、右エンジンも停止した。143便は全ての動力を失い、操縦室は一瞬の静寂につつまれた。燃料が尽きた時点での高度は約 2万8000 ft (8500 m) で、かなり降下していた。

ジェットエンジンは航空機に必要となる電力供給のための発電機を備えている。本機の操縦席は完全なグラスコックピットではなく、従来のアナログ計器類を併用していたが、それでも多くの計器類は作動に電力を要しており、エンジン停止と共にそれらも一斉に停止した。ただし、電力を使用せずに作動する計器の一つである降下率計によってパイロットはどれくらいの速度で降下しているかを知ることができ、そこから滑空距離を求めることができた。また、対気速度計高度計方位磁石も電力なしで作動する機器であり、航空機を着陸させるために必要最低限の情報を得ることができた。

なお、エンジンは機体各部の可動部を制御する油圧システムの動力源にもなっており、油圧がない状態ではボーイング767ほどの大きさの航空機を操縦することは難しい。しかしながら、航空機の設計ではこうした事態も考慮し、そのような場合は非常用風力発電機ラムエア・タービンが自動的に機体側面に展開する。航空機の速度は発電機の風車を廻すには十分であり、機体制御のための十分な油圧を得ることができた。

ギムリー空軍基地への着陸[編集]

パイロットは緊急マニュアルを開き、両エンジン停止状態で飛行させる項目を探したが、そのような項目は存在しないことを知りえただけであった。ピアソン機長は最良の効率が得られる 220 kt (407 km/h) で機体を滑空させた。副機長のマウリス・クィンタルは本機がウィニペグまで到達できるかどうか機械式の予備高度計の高度を元に試算を行ったが、10海里 (19 km) 進む間に 5000 ft (1500 m) 降下しており、降下率は約 12 : 1 だった。また、空港のレーダー画面に映るエコーを元にウィニペグの管制官が算出した値も同様であり、これは143便がウィニペグにたどり着ける可能性はないことを示していた。

こうした経緯より、クィンタルは以前に勤務していたカナダ空軍のギムリー基地を着陸地点にしようと考えた。なお当時のクィンタルは知らなかったのだが、彼の除隊後にギムリー基地は民間空港(Gimli Industrial Park Airport)になっており、閉鎖された平行滑走路の1本は時折開催される自動車競走に使用されていた。ちょうど事故当日にも、この地区の自動車やキャンパー達が「家族の日」のために集まり、レースが行われていた。

パイロットはギムリー空軍基地に接近する間に降着装置のロックを解除し、自重での落下を試みた。しかし、前部降着装置は前方に向かって振り出す形であり、発生した空気抵抗でロックすることができなかった。降着装置の展開による速度低下はラムエア・タービンの発電効率を悪化させ、姿勢制御はさらに困難になった。機体がギムリー空軍基地へ接近するに従い、明らかに高度が高いことが判明した。ピアソン機長は空気抵抗を増し、高度を下げるためにフォワードスリップ機動をした。フォワードスリップはグライダーや軽飛行機が同じ状況に陥ったときによく使われる操縦方法であるが、実はピアソンはグライダーでの滑空を趣味としており、その経験がうまく活かされたのである。スリップによって、乗客は横向きに地面へ向かって落下するような感覚にとらわれた。143便はゴルフコースの上を通り越したが、ある乗客は「ゴルファーがどのクラブを使っているか見えるくらいだった」と興奮した様子で取材に答えている[2]

ギムリー空軍基地の滑走路に車輪が着くと同時に全重量を乗せてブレーキがかけられた。フルブレーキの影響から、降着装置のいくつかのタイヤが破裂した。前述のように143便は前部降着装置が固定されていなかったので機首を接地する格好となったが、胴体着陸となったために増した抵抗が幸いし、滑走路端で行われていた「家族の日」の会場から数百フィートの位置で停止した。

61人の乗客は着陸の際に負傷することはなかった。しかし、このとき小規模の火災が機体前部で発生し、およそ2カ月前に発生した797便火災事故の恐怖から、乗客は脱出の際パニック状態に陥った。加えて前傾姿勢で胴体着陸したため尾部が高くなっており、通常より急角度で展開した後部扉の脱出用シュートでの脱出の際に軽い怪我を負った乗客がおり、10人のけが人が出た。パイロットも脱出時のチェックリストを完了させた後に143便を降り、機体前部の火災の消火活動を開始。消火器を携えて駆けつけたレーサーとコースマーシャルらも合流しすぐに消し止められた。脱出の際に負傷した乗客はスカイダイバーの飛行クラブとして使用されていたギムリー空軍基地からちょうど離陸するところだった医師によって適切に診察された。

偶然にも、ウイニペグからギムリー空軍基地に自動車で向かった整備士も、ガス欠で到達できなかった。

事故後[編集]

着陸時に機体の受けたダメージが軽度だったため、ギムリー空軍基地に赴いたエアカナダの整備士たちの手により、わずか2日で復帰を果たした。

2008年1月24日モントリオール(YUL)からアメリカアリゾナ州ツーソン(TUS)までAC7067便としてフェリーされ、引退した。この際、機長始め当時の乗員八名が搭乗した。その後は、飛行機の墓場として有名なモハーヴェ空港に部品取り用として保管されている。

同様の事故例[編集]

2001年にもカナダの航空会社、エアトランサット236便が燃料切れによってアゾレス諸島に緊急着陸するという同種の事故が発生している。2000年にはハパグロイド航空3378便が燃料切れで滑空し、ウィーン国際空港の滑走路手前500mに不時着する事故が、2008年にはブリティッシュ・エアウェイズ38便ボーイング777のエンジンが2基とも停止して滑空状態となり、ロンドン・ヒースロー空港の滑走路手前に着陸するという事故があった。

2009年に発生したUSエアウェイズ1549便不時着水事故では、ギムリー・グライダーと同じくフォワードスリップによる着水が行われた。

本事故を扱ったドキュメンタリー[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]

Wikipedia-logo.svg このページはウィキペディア日本語版のコンテンツ・ギムリー・グライダーを利用して作成されています。変更履歴はこちらです。